Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

The People of Japanese Zdbac around Sebastian

 第一章
    アベル

 旧約聖書に出てくる、カインとアベルの話で有名な、アベルは、BC13世紀に、プレ
イアデス星から地球に来た、プレイアデス人だった。アベルの直系の子孫は、いつしか
ヨーロッパの中で、地位を築いていき、ハプスブルグ家に代々仕える公爵、Zdbac家に
なった。1900年頃、ハプスブルグ家に対する風当たりは強くなった。1910年、Zdbac
公爵は、自ら、十字架に架けられる、ショウを演じ、1911年、Zdbacの一族は世界中に
離散した。その後、ハプスブルグ家の皇太子は暗殺され、第一次世界大戦がヨーロッパ
に起こった。


 第二章
    ユバル

 同じく、旧約聖書に出てくる、アベルの直系の子孫に、琴の名手、ユバルが記されて
いる。ユバルは、琴などの楽器の名手、時には弓矢の射手として、メソポタミアからヨ
ーロッパ、東欧、シルクロードを経て中国に渡り、時は老荘思想家の百家争鳴時代、ユ
バルは、百家争鳴の思想家の一派になった。その後、ユバル家は、朝鮮半島に渡り、新
羅の花郎(ファンラン)と呼ばれる種族に入った。花郎は、貴族の芸術家集団であり、
かつ戦いの指揮官の集まりであった。モンゴルの侵略に破れた後、ユバル家は、鎌倉時
代の飛鳥の地に逃れ、阿部豪族の傭兵として、日本に帰化した。ユバル家は、そのまま
戦国時代に武士になっていった。飛鳥、高取の地は、江戸時代中期まで、越智一族が自
治権を持っていた。江戸時代中期、江戸幕府の本多家が、越智を攻め滅ぼした時、ユバ
ル家は本多家に付き、高取城で、外様大名のような、No.2の地位を得た。高取城城下町
には、様々な日本各地の地名があるが、ユバル家の領地には、ホーランドという地名が
残されている。おそらく、高取城に来る、オランダ人の居留区があったように思われる。
ホーランドの山には、礼拝堂があった。ユバル家の歴史は決して平坦なものではなかっ
た。婚姻する、南朝貴族の女は、次々と、男子を毒殺していった。姫君に一目惚れされ、
切腹を命ぜられる男子も、ユバル家には居た。
 江戸時代後期、ユバル家に、宗治(しゅうじ)という、天才少年漢文学者が、現れた。
宗治は、先祖代々の漢文の蔵書を読み散らす一方、自作の漢文詩を書き、またオランダ
人から、オランダ語、ドイツ語、フランス語の手ほどきを受け、ドイツ文学やフランス
文学を読み漁り、17歳で、肺結核のため夭折するまで、数々の自作の書き物を残し、宗
治の物語は、伝説になった。
 ユバル家は、広い屋敷を持ち、広い屋敷には、親類や兄弟などの家が立ち並んでいた。
その中で、江戸時代後期、ユバルの分家が出来た。角立て四つ目の紋章の、このユバル
の分家は、城のNo.6の地位を与えられた。幕末、高取城は燃え、後は石垣だけが、残さ
れた。
 もはや、切り捨て御免の世の中では、なくなった明治初頭、ユバル家の当主は、六人
の村人を殺傷し、ユバル家は解体された。広い屋敷は分割され、屋敷があったど真ん中
に、道が開いた。六つの地蔵が、墓に並び、ユバル家は小さな娼家になった。分家のユ
バル家は、明治政府の恩賞金で、京都に商売に出、ルーマニア人のユダヤ系の芸者を妻
として連れ帰った。分家のユバル家は、そのまま芸者の置屋になり、本家の娼家で、三
味線や琴を弾いていた。分家のユバルの息子、宗太(そうだ)は、化学者として、ソー
ダ水を発明したが、アメリカで特許が下りた時には、既に太平洋戦争が勃発されており、
特許料を、宗太が手にする事はなかった。宗太は、1911年に、高知の浜辺に漂流した
Zdbac家の娘の一人が、丹波市で売られて来た、アフリカ人と結婚して出来た、brownの
ユダヤ人、トミノと結婚した。


 第三章
    Zdbac椎野

 1911年に、高知の浜辺へ漂着した、Zdbac一族は、そのまま四国から関西へ散らばっ
ていった。もはやヨーロッパを捨てたZdbac一族は、日本人に同化していく事を希望し、
そしてそれは、受け入れられ、同化していった。和歌山の御坊に移ったZdbacの一人は、
椎野家と婚姻し、1945年、赤毛の可愛い巻き髪の女の子、マリアが産まれた。その女
の子は、エレクトリックピアニストになり、そして後に、飛鳥のユバルZdbac家と婚姻
する。


 第四章
    Zdbac小崎

 椎野マリアとユバルZdbacの息子、セバスチャンは、特殊教育を一歳から三歳まで、
和歌山で受けた期間、四国の香川から来ていたZdbac小崎という少年に出会った。もと
もと結核患者の子供の療養所だった、特殊教育機関で、Zdbac小崎のように、健康な少
年は合わず、Zdbac小崎はいつも暴れていた。セバスチャンは、Zdbacの血筋を持った
者同士の親近感を覚え、Zdbac小崎が暴れ、注意されるのを、よく庇った。文化祭で、
セバスチャンがエレキギターでウ゛ィヴァルディやバルトークを弾き、ヴォーカルの
Zdbac小崎は、発表会場に張り巡らされた、シュールリアリズムの絵画を殴った。セバ
スチャンが、かわりに謝ってその場は済んだ。
 セバスチャンとZdbac小崎は、大人になって再会し、Prisoner No.6というロックバン
ドを結成した。そして、シュールリアリズム絵画の展覧会での、パフォーマンスで、子
供の頃と同じく、セバスチャンがギターシンセサイザーで、ウ゛ィヴァルディやバッハ
を弾き、Zdbac小崎は絵画を殴った。二人が子供の頃、発表会を観ていた紳士達が、そ
の展覧会に大勢居合わせていた。みんなが証人さんだった。
 「あの時と、全く同じだ。」
と、証人の紳士達は笑い合った。


 第五章
    Zdbac瞳

 奈良に移ったZdbacのうち、一人は、アフリカ人と結婚し、娘がユバルに嫁いだ。そ
してもう一人は、ロシア系ユダヤ人と婚姻し、同じく明日香村に住んだ。Zdbacユバル
の息子、セバスチャンと、ロシア系Zdbacの娘、瞳は同じ学校に入り、クラスメイトに
なった。セバスチャンの好成績は、すべてZdbac瞳に引き渡した。Zdbac瞳の父は医者
で、多額の献金を学校にしていた。ヨハンは、ズバ抜けた成績を、Zdbac瞳に明け渡し
てからロックバンドで、エレキギターに、その不条理の怒りをぶちまけた。Zdbac瞳は、
女子大を出てからポルシェを乗り回していた。



 第六章
    Zdbac少年

 セバスチャンが、もはやベテランのロックミュージシャンになり、対バンした若い
バンドの中に、キラリと光る少年がいた。楽屋の壁に頭をぶつけてウォーミングアッ
プする、この少年のバンドは、明らかに他の若手のバンドとは違っていた。手本とす
る先輩のバンドを何一つ持たない。モダンジャズのドラムと、イレギュラーチューニ
ングでツインギターの効果を出すギター、そして挑発的なアクションで客にアピール
する、このヴォーカルの少年のバンドの演奏は、明らかにオリジナルの2000年代の、
新、新人類の音楽だった。
 打ち上げで、その少年は、隣の女の子に、
 「俺はZdbacだ。」
と語りかけた。セバスチャンは、また一人、Zdbacに出会った。Zdbac少年のバンドのド
ラマー洋輔は、セバスチャンのバンドでもドラムを叩くようになり、洋輔は二人のZdbac
の間を行き来し、二人を良く観察していった。
 Zdbac少年と洋輔のバンドは、ヨーロッパツアーを成功させ、洋輔はセバスチャンのバ
ンドを去った。



 第七章
    Uncle Zdbac

 著名なブリティッシュロックギタリストが、日本人のZdbacにアピールするために、来
日した。もはや老齢のそのロックギタリストは、
 「自分はZdbacだ。」
と、日本の記者に会見した。
 たった一晩だけの再結成コンサートの後、日本に来たそのZdbacは、極東の島国に同化
したZdbacに対して、一体どんな思いを抱いていたのだろう。
 日本のZdbacは全て、日本国籍を持った日本人である。
 Zdbacは、日本への同化に成功した。

スポンサーサイト

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学

弓場宗治の世界 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<Go back to Pleiades | ホーム |  天国への弁証法>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。