Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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石舞台古墳

 19歳の時、京都の或る宮内庁の庭園に、忍び込むゲームを高校時代の仲間とやったことがある。精華大学の学生だった友人の下宿から、歩いて5分もかからない或る庭園だった。1人が、その下宿人だった友人の部屋から、彼の父親のヨーロッパみやげのかなり変なオブジェのような置物を、庭園のかなり本格的な風景が見える処まで置いておき、各人が、その置物にタッチして帰り、胆だめしするというゲームだった。
 噂では、地雷が埋っているとか、プルトニウムが埋っているとか、大袈裟な話をしていたのだが、皆、本気になって地雷を踏まない方法とか相談し合っていた。
 さて、ゲームが始まったのは、深夜3時頃からだった。行って帰ってくるものは、口々に、その感情の激しさと、息も絶えだえの恐怖からの脱出による安堵感で、そのオブジェの庭園でのミスマッチを語るのであった。

 もうすぐ、夜明けに入ろうとする、朝の5時頃、一番最後の僕の順番になった。確かに庭園の前の鎖から、入口の門まで皆が言っていたように、3mぐらいの間隔がある。これが、地雷が埋っているという場所だな、と思った。なぜかわからないが、その日の僕の跳躍力は人間離れしていて、3mの間隔から門の頂上を足で蹴って、見事に庭園に侵入できたのであった。
さて、オブジェの置いてある処は、まだ遠い。薄明りのさしてきた早朝の庭園の管理館に明かりが灯った。格調のある老紳士の声が聞こえた。「誰ですか?」
 僕は、「すいません、弓場というものです。」と、謝りながら庭園を歩いていると、「ああ、弓場さんですか」と、老紳士が呟いた。
 宮内庁の老紳士が、19歳ぐらいの(声がまだ20歳のものではない、ハイトーンだった)弓場という名前を知っているのは、きっとあの人だろうと(もしくは、あの人から聞いた人だろう)と思って、遠くなった石舞台古墳での或る出来事を思い出して、まるで自分の庭のように、オブジェを取って堂々と門をまた越え出て帰った。

 9歳の時だった。たぶん秋篠宮が、成年後のその名前になっていなかった頃、彼が10歳だった時に明日香村にやって来て、1つ年下の学年の村の小学生が、石舞台古墳に駆り集められた。例のごとく日の丸の旗を振らせに集められたのだが、もちろん私は、馬鹿らしかった。
 すると、宮内庁の秋篠宮の教育係みたいな老紳士が、突然「明日香村の子供達と遊ばせましょう」と、言った。幼い私は、「おおっ、あいつと遊べる」と喜んで、たちまち石舞台の上によじ登って、そこから秋篠宮に向かって、「おーい、ここまで上がってこい」と、挑発したのであった。しかし、秋篠宮は、登ろうとしない。憤った私は、雨が降った後の大きな水たまりに向かって、勢い込んで飛び下りて、見事、水たまりの泥水は、秋篠宮の高級仕立てのズボンに向かって跳ねたのであった。
 この時一瞬、SPの緊張が走った。石舞台古墳の広場が、得も言えぬ緊迫感で埋った。おばさんの女教師が、その緊迫を収拾するために、宮内庁一行に土下座して謝って、事態は片づいた、と思う。

 京都の庭園の老紳士が、あの秋篠宮の教育係の老紳士と同一人物だと思ったのは、私の思い込みかも知れない。
 しかし、私はあの早朝の庭園をオブジェを持って堂々と歩いた時の、晴々した気持ちと清らかな空気を忘れることはないだろう。

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