Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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精神収容所列島

全ての自殺した若者達へ


PART 1

 ある日、気付いた時、そこは精神病院の鉄格子の中だった。
厚壁の中に組み込まれた、特殊な小型スピーカーで尋問を受ける。
全ての会話は脳の中で行われ、口を動かす事はない。

 室内には、脳における言語行為全て読み録り記録させるセンサーが、取り付けられている。

 これは、残酷な拷問である。

 尋問は、止めどもなく続く。
眠りにはつけづ、永久に闘いは続く。

 闘いに疲れ果て、力尽きてしまった時、
私は、精神の死を迎える。

 彼らのように、奴隷として、
生きる屍となるのだ。






PART 2

 メフャンは、快活な男の子だった。
物心ついた頃には、野山を駆けめぐり、野球、サッカー、フットボールに打ちこんだ小学5年生の時、ロックに出会った。
 たちまち虜になったメフャンは、アルバイトでギターとアンプとディストーションを買った。
 大音量で、ハードロックを聴き、カヴァーした。音楽仲間もできた。

 気付いた頃には哲学書を読んでいた。
ロック音楽のもたらす解放感を説明してくれるような気がした。

 メフャンは、集団の群れの中ではいつも異端だった。
教師達は、しかし彼を責任ある地位につける事で、最低限の管理の下に置きたかった。

 しかしメフャンは、管理者達を惑わし続けた。
演説場で過激なアジテーションをしたのだ。

 メフャンは孤独だった。仲間でさえ、もはやメフャンについていけなかった。否、メフャンの言う事に耳を貸す事に危険を感じたのだ。
 仲間は、メフャンのアジを自分なりの穏健な解釈にして、励ますふりをして、離れていった。

 羊達は、むろん、メフャンの言っている事は、分かるわけがなかった。
脳のすみずみまで、飼い馴らされた奴隷達は、彼への反発を管理者達に告げ、管理者は、安心した。

 メフャンは、追放された。






PART 3

 田園や、山々に囲まれた処で育ったメフャンにとって、雑多な街は不快だった。しかし、彼のゲットーは、街の一角のコンクリートの建物だった。
彼は、このゲットーに追放されたのだ。

 ゲットーの管理者は、田舎の粗野な者達ではなかったが、メフャンは、その所々に罠があるのを嗅ぎ取った。追放された身である彼にとっては警戒は当然のものだった。

 ゲットーは比較的自由で、メファンは、その中でも、特に変人が集まるサークルに顔を出した。都市周辺で、豊かな情報の中で育った彼らは、メフャンには魅力的だったが、彼らは、その豊かな生活ゆえに、メフャンが闘っていたものが、そんな問題などあたかも問題でさえもないと思っているかのようだった。

 メフャンは、ジレンマを抱えながら、ゲットーの偽りの自由を享受した。
ゲットーに与えられた自由は、その後も、そのレールの上を歩く事を前提とした自由であったから、管理者は巧に様々な手法を凝らし、そのゲットーの塀を逸脱した時の恐怖を、レールから外れた時の恐怖を、知らず知らずの内に染み込ませた。

 メフャンはゲットーの中では抵抗はできなかった。
銃を向ける者もいなかったし、塀の外に出るのも自由だった。レールから外れる事もできた。管理者は、物分かりのいいインテリ達で、彼の言いたい事は理解していた。
 メフャンは、あたかも敵がいないかのような錯覚に陥ったのだ。






PART 4

 執行猶予だった。メフャンには、既に刑が決まっていたのだ。彼の知らないところで。
 そして、ゲットーでの猶予期間が切れれば、彼は、管理者の側に立つか、それとも犯罪者として常にマークされるかのいずれかだった。彼がゲットーに追放されたのはそのゲットーが、都市の少年にとって、逸脱しながら管理体制の下に入る特殊な人間を養成するところであるからだ。
 ゲットーでの彼の周人達には暗黙の了解であった。豊かな暮らしの享受を放棄するほど馬鹿げたものはなかったからだ。
 だから、全ては知的な遊びだった。
 メフャンは、それに気付かず、ゲットーでの生活を終えた。年齢は、18歳になっていた。反体制的知識人の演技をする俳優(共産党員)の門下に入った。

 この俳優の生き方は、管理者としてはギリギリのものであった。演技は完璧であってはならない。人間味がなくなるからだ。かといって、自分が反体制的知識人であるという仮面を常に被っていなければならない。そうしないと、未来の危険人物を自分の思想刑務所に嬉々として繋いでおけないからだ。

 俳優の刑務所では、自由は必然であった。だからそこにはなんの思想的自由もなかった。しかし、メフャンには(自分に刑が下りているのは知らなかったのだが)この俳優の生き方を身につけなければ、過去に自分を追放した世界で生きてはいけないだろうという危惧感があった。

 メフャンは知らなかった。ゲットーで最も左翼だったこの俳優が、心の奥底まで体制側の人間であることを。その若さ故に見抜けなかったのだ。

 俳優の門下生は、皆、反体制のエリートであったのと同時に科学者が多かったから体制側でも重宝がられていた。俳優は、彼らを可愛がったが、公安には彼らの情報は筒抜けだった。

 俳優は、こういった未来の優秀な科学者を育てる事で、自らを支え、哲学は自分だけで独占していた。






PART 5

 メフャンは、少年の頃から、過激な哲学と慣れ親しんでいたため、この自称反体制保守的な唯物論学者である俳優とは距離を置く事にした。
 しかし、経済学者の卵である門下生が、メフャンを監視した。この門下生は俗人だった。たぶんゲットーの性質さえ、見抜いていなかったのだろう。自分はエリートだと思っていたし、共産党員である事に誇りを持っていた。プロレタリアートを社会の落ちこぼれとして蔑視していたし、その事に矛盾を感じた事はなさそうだった。

 メフャンは、働きながらマルクスを読んだ。ゲットーでの生温かい、セントラルヒーティングの中での自由は、そして知的な遊びも過去のものだった。

 メフャンの目の前にあったのは、激しい現実との闘いと、自称反体制の保守的なマルクス主義者との闘いと、そして、過去に自らを追放した本当の敵との闘いだった。

 少年期の追放前の状況が、さらに激しくなった。彼の監視は、キャンパスの深夜の自習室だけで和らいだ。昼間の労働は、とりわけ自尊心の高い彼には屈辱だった。この屈辱感だけが、夜間大学の他の学生と共有するものであった。しかし、ゲットーを経験する事もなく、羊のまま労働者になり、キャンパスに集う他の学生達は、所詮別種の生き物だった。彼らにとっては、メフャンは高慢チキなインテリだった。

 共産党員の中でも、マルクスの原文を読もうとする者は、彼らの限られた時間の中で、稀だった。エンゲルスのパンフレットでさえ、指導者の中で読んでいる者がいるかいないかだった。彼らは、羊のまま成長したし、労働者の共産党員は、インテリゲンチャの共産党員の講演を聞き、その決定に従い、その手足となって行動すればそれでいいのだ、と思っているようだった。彼らが、配っていたのは、小学生でも分かる簡単なパンフレットだったし、彼らは別にそれでいいと思っているかのようだったがメフャンは、そんな奴らと交わるのは真っ平御免だった。






PART 6

 共産党御用学者の主催する研究会で、メフャンは指導的な役割を果たしていたが、そのため無音の衝突を繰り返していた。ついに、そこから脱会した時、メフャンはキャンパスの中で完全に孤立した。

 その御用学者には悪い噂があった。昔、内ケバのリンチで対立セクトの学生を殺しそれを黙認される代わりに、公安のスパイになったというのだ。もちろん彼の下に集った学生の情報は、全て公安に流されていて、研究会の仲間の家族構成、職業、メフャンの友人の父親の離婚でさえ知っていた。

 キャンパスの共産党員の学生の指導者のほとんどが、その教授の影響下にあった。彼らは、その教授の指導下にあったものが、そこから抜け出る事には容赦しなかった。

 メフャンは、人目を避けて自習室に引き籠った。しかし、それも時間の問題だった。学生達がメフャンの学習を妨害し始めたのだ。図書館で、調べ物をしていても、陰口を囁く者が絶えなかった。メフャンを支える者は誰もいなかった。被害妄想に陥った彼を待っていたのは、少年時代、自分を追放した故郷の、今や飛んで火に入る夏の虫が如く、虎視眈々とメフャンを滅亡へと追いやる村人達だった。






PART 7

 判決は、どこかで、誰かの手で、しかし、その村の中で下りていた。そして執行猶予期間は過ぎていた。メフャンを追放したものの、村人達にとって映るメフャンは、自由で、遊び惚け、そして大学に入った未来のエリートだった。だが、地元のエリートの卵とは違った。自分達の育てたものではなかったし、この村に帰ってくることさえもないと思っていた。メフャンに判決が下りていた事を知っているものもなかったメフャンの追放は、都会の進学校への進学という形になっていたから、それほど経済的にも、社会的地位の違いをもメフャンの家族に感じていなかった村人は、何らかの憤りを感じていた。メフャンが犯罪者であるとは知らなかったものの、メフャン自身を敵視することで、何らかの潜在的合意をもっていた。それは、「将来ひとかどの人物にならなかった場合は覚悟せよ」とうものであった。

 かくて、被害妄想に陥り、キャンパス街での生活が困難になったメフャンは、ある日、逃げるようにして故郷に帰ってきた。ついに公安の手が、彼の下宿に延びていたのだ。少年期の小さな村の判決などは、とっくの昔に時効になっていた。
 新たな容疑が、メフャンにかけられていたのだ。メフャンは、一種の危機感をその数カ月前より抱いていたものの、どうしようもなかった。ある使命感のようなものにズルズル引きづられていって文献を貪り読み、更に深みに入り込んで行ってたのだ。ある数十ページにも及ぶ小論文だった。哲学クラス担当の老教授は、保守的なマルクス主義に挑戦しようというメフャン応援し、過去に自ら味わった苦い経験から、メフャンに役立つ文献を紹介していた。メフャンは、必死に文献を漁り、一つの小論文を提出した。それは、マルクスの初期の文献に比重を置き、エンゲルス的な科学的唯物論からマルクスを脱却させ、初期のマルクスの草稿に新しいユートピア像を見い出そうとしたもので、メフャンはそこでは、従来の共産党御用達学者の科学的社会主義を否定し、そういった史的唯物論至上主義の思考の下での「希望なき不条理」を指摘したのである。すでにソ連の崩壊が近づいていた頃であった。

 戦前、天皇制護持のために、共産党員は治安維持法によって捕らわれの身となったが、ソ連の体制が音を立てて崩れていくのが明かに分かっていた当時において、共産党の教育を受けた者が、共産党を批判する事は、戦前におけるマルクス主義者と同様の末路を辿ることになるのである。






PART 8

 メフャンがその小論文を老教授に提出して3ヵ月目の事である。要心のために引っ越した下宿の隣から、その論文の内容を検査している2人の声が聴こえた。明かに自分の提出した論文だった。
 隣の大学生達は、自分とは違う本当のエリートである。何らかの危機感は抱いていたが、たかがガリ勉の世間知らずだろうとタカを括っていたのがメフャンの最大の失敗だった。
 彼らは、キャンパスで戦っていた保守的なマルクス主義者ではなかった。メフャンの感覚は、すでに毎日毎夜マルクス主義の文献に浸ることによって麻痺していた。一刻も早く共産党員だらけのキャンパス街から抜け出すことで自らの学習の安全を確保しようとした余りに大変な現実に直面してしまったのだ。

 新たな下宿の隣人達は、本当の敵だったのだ。
少年時代、自分を追放した敵、ゲットーに追放したあの巨大な権力、それこそ隣の部屋の学生達がなろうとしていたものであり、すでに彼らは、自分の論文を手にいているのである。

 メフャンは、すでに自らの抵抗が失敗に終わったことを感じた。老教授の事を疑いもしなかった自分、共産党の教育を受けながら、共産党を批判し、その庇護下から、何の学習の保護もない野ざらしの状況で、一人悦に入っていた自分を恥じた。

 ついに本当の敵の罠に嵌まってしまったのだ。






PART 9

 メフャンが、故郷に一式の家具と共に帰ってきた。
すでにメフャンは、眠ることだけを考えていた。ここ数年、満足な睡眠はとっていなかった。ただ全ての夢も崩れていた今、満足な睡眠ぐらいは、とれるだろうと思っていたのだ。

 朝、古い家屋の広い部屋で寝ていたメフャンの耳に村人のざわめく音が聞こえた。メフャンが少年時代、レコードを聴き、本を読み、ギターを弾いた部屋は物置になっていた。
 村人は、メフャンの家の向かいの家の玄関に早朝から、ある者はずっと、ある者は入れ代わり立ち代わり、メフャンの噂を大きな声で、「時は来たり」という感じで、ついに積年の鬱憤を晴らしに来たのだ。

 メフャンには、村人達も、共産党御用学者も、共産党員も、自分が信じた老教授もそして逃げだして来た権力者の卵である下宿の隣人達も、全て自分の敵だった。
 布団の中で怯えるメフャンに家族は何もできなかった。村人達は、メフャンに敵意は抱いていたが、メフャンの家族とは良き隣人だった。だから大声でメフャンの噂をしても、家族にはそれが何だったのか分からなかったのだ。

 メフャンには村人達の言葉が、一種の暗号のようにさえ聴こえた。家族にはわからないが、自分にだけ分かる非難だったからだ。誰か、権力の末端が、メフャンに安逸の場所がない事を知らせるために、村人達を煽動しているのだ。

 ついにメフャンの精神は、異常をきたしてきた。しかし、その時のメフャンにはどこからどこまでが現実で、どこからどこまでが妄想なのかは全く理解できなかった。ただ確信できるのは、家の廻りが異常な悪意の固まりである事だけだった。






PART 10

 向かいの家の玄関に大きなスピーカーが置かれた、
しかし、メフャンの家族には聞こえない。メフャンにだけ聞こえる音を流すスピーカーだった。
 様々な、メフャンがこれまで係わった人々が、スピーカーを通じて現れた。別段悪口を言ってるわけでもなかった。しかし、2、30人単位の見知らぬ人々が現れる事もあった。
 メフャンの恐怖は、絶頂に達していた。自分のこれまでの足が地に着かない人生全体が、誤りに思えた。「どこで間違ったのだろう?どこからいけなかったのだろう」
 しかし、この狂気に満ちた村の一室で怯えるメフャンには、正確なこの異常事態の分析ができるわけではなかった。メフャン自身、自分の知らない処で、しかし、この村の中のどこかで、判決が下り、自分が有罪で、追放の身になった事の真相を知らなかった。ただ、地元の学校に進学すれば、自分が不利な立場に立たされると、暗に仄めかされて、都会の学校に進学したからだ。しかし、それが追放であると、知ったのは自分より遥かに成績の悪い学生が、メフャンの両親が望んでいた学校に合格していたからだ。

 一刻も早く、まともな精神病院に入る必要があった。現実からも、妄想からも、全てから隔離されたかった。しかし、権力の手から、自由な精神病院などあるのだろうか?メフャンは、虫けらのように暗闇に葬られた戦前の発狂した共産主義者を思い描いた。

 「死のう」               メフャンは、人間であるまま死を選ぶ事を選択した。

 たぶん、この村の権力と、ゲットーの権力と、キャンパスの権力は繋がっているのだろう。そしたら精神病院の権力は、無法地帯に違いない。あんな奴らに虫けらのように扱われるのは、メフャンのこの狂気の絶頂ともいえる状況においても、耐えられない屈辱だった。






PART 11

 すでに、メフャンの生涯における2回目の裁判が始まっていた。

 弁護人のいない秘密裁判だった。

 検事は、被告の罪状を長々と述べていたが、証拠として集められたのは、スピーカーの放送に対するメフャンの対応だった。

 メフャンの家の隅々まで張りめぐらされたセンサーが、メフャンの脳の言語行為の逐一を記録していた。

 膨大な量の有力な証拠だった。

 メフャンの有罪は確実だった。





 しかし   その罪が何であるかは


 誰も


 知らない
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