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ヘーゲル「精神現象学」を読む Part16

ヘーゲル「精神の現象学」B 自己意識 IV 自分自身だという確信の真理 Die Wahrheit der Gewissheit seiner selbst  
A 自己意識の自立性と非自立性、主であることと奴であること Selbstandigkeit und Unselbsrandigkeit des Selbstbewusstseins, Herrsshaft und Knechtschaft.


(三)主と奴

α 主であること


  「主は、自分だけで存在する、意識ではあるけれども」

  「このさい主は」
  「(a)自己意識の『概念』としては、自分だけで、の存在の無媒介的関係であると」
  「(b)同時に、しかし、今や、媒介態として、言いかえると、ただ、他者を介してのみ、自分だけで存在するところの、自分だけの存在としてもあるのだから」
  「主は(a)無媒介に両者に関係すると共に」
  「(b)両者の一方を介して、他方に媒介的にも関係することになる。」
  「(この媒介関係に二つある)
  「(一)主は、自立的な存在を介して、奴に媒介的に関係する。」
  「(二)これと全く同様に、主は、奴を介して、物に媒介的に関係する。」

  「主は、享受することを、うるのである。」

  「主にとっては、自分が他方の意識によって、承認せられているということが、生じている」

  「主は、自分だけでの存在が、(自分の)真理であることを確信しているのではなく」
  「主にとって自分の真理であるものは、むしろ、非本質的な意識であり、また、この非本質的意識の非本質的な行為である。」

  「したがって、自立的意識の真理であるのは、奴としての意識である。」

  「奴であることも、そとから己れのうちに、押しもどされた意識として、己れに至り、かくして、顛倒して、真の自立性となるであろう。」


β 奴の畏怖と奉仕


  「しかし、奴であることも、自己意識であるので」

  「奴であることに対しては、主が、本質であるから、自立的な自分だけで、存在する意識(主)が奴であることにとって、真理であるけれども」
  「まだ、奴であることに、即してある(具わる)ものではない。」
  「しかしながら、奴であることも、純粋の否定性と、自分だけでの存在、という真理を、じっさいには、自分自身に即して、具えている。」

γ 奴の形成の労働

 
 「労働を媒介とすることによって、意識は、己れ自身に、至るのである。」

 「労働は、形成するのであり」

 「労働するものに対して、こそ、対象は、自立性をもつからである。」
 「労働することというこの、否定的な媒語または、形成する行為も、同時に個別態であり」
 「言いかえると、意識の純粋な、自分だけでの存在ではあるが」

 「だから、労働する意識は、こうして、自立的な存在を、自分自身だとして、直感するに至るのである。」

 「自分の純粋な、自分だけでの存在が、存在するものになることを、認めるようになるのであるが」

 「造形においては、自分だけでの存在は、自分自身のものとして、自分に対して、あるようになり」
 「かくして、この奉仕する、意識自身が、即自且つ対自的にあることを、自覚するに至るのである。」

 

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