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ヘーゲル「精神現象学」を読む Part10

ヘーゲル「精神の現象学」 A 意識  III 力と悟性、現象と超感覚的世界 Kraft und Verstand, Erscheinung und ubersinnliche Welt.(一)(二)


III 力と悟性、現象と超感覚的世界


   「悟性に生成したものが、真なるものの、概念ではあるけれども」
   「しかし、この真なるものは、即自的に存在する真なるものであって」
   「まだ『概念』でもなく』
   「言いかえると、意識の対自存在(自覚存在)を欠いており」
   「そこで、悟性は、この真なるもののうちに、己れを認めることなく」

   「即ち、知覚において、真とされた内容は、じつはただ、形式のみに属し」
   「形式のうえでの、統一のうちに、解消するより、ほかの、本性をもっていないからである。」
   「知覚のこの内容は、同時に、(無制約的に)普遍的なのであって」
   「自分の特殊の性質によって」
   「この無制約的普遍性のうちに、還帰することを、逃れるような、其の他の、いかなる内容とて、ありえないのである。」

   「この本性の真実態とは、無制約的普遍者である、ということである」
   「そこで結果は、端的に、普遍的であるということになる。」

   「諸契機は、ただ、この普遍態のうちにのみあるから」
   「もはや、凡そ、離れ離れにあるのではなく」
   「側面を形づくりはしても」
   「本質的に、自分自身で、自分を止揚するのであり」
   「定立せられているのは、これらの側面が、相互に移行する、ということだけである。」


(一) 力と発現、誘発するものと誘発されるもの、両力の遊戯

   「これら、物質の自立性とは、この媒体以外のものではない。」
   「この媒体という、普遍的なものとは、どこまでも、かく互いに、相違し、それぞれ普遍的であるものの、数多性のことである。」

   「即ち、その一方の契機であるところの、各自の存在を、えている、諸自立的物質への展開としての、力は、力の発現であり」
   「これに対して、諸物質が、消失していることとしての、力は、己れのうちに押しもどされた、力であり、言いかえると、本来の力である。」

   「『我々』が、両契機を、それら直接態な統一のうちに、維持するときには、力の概念」
   「即ち、区別された契機を、区別されたものとして、担っている、ところの、概念が、本来的帰属しているのは、悟性である」

   「第一には、力が本質的に、即時且つ対自的であるにとどまる、全体的な、力として、定立せられざるをえないこと」
   「次には、力の区別項が、実体的なものとして、言いかえると、各自、自分だけで、存立せる、契機として、定立せられざるをえないことである。」

   「今や、力が、現に、存在するのは、展開された、諸物質の媒体としてである、ということになる」

   「この力のほうが、誘発するものを、普遍的媒体として、定立するのであり」
   「いなむしろ、それ自身、本質的に、普遍的媒体であることを、意味している。」

   「両力への二重化によって、力の概念が、現実的となること」 
   「また、この概念が、どのように、現実的になるか、ということである。」

   「力の概念が、その現実態のさなかにおいても、本質(実在)であるのを、保つことにある。」
   「現実的なものとしての、力と言えば、簡単に、ただ、発現においてのみ、あるもののことである」

   「悟性が、最初に、或は、無媒介に、力の本質である、と、認めたところの、普遍態と、なっており」
   「そうして、この、普遍態は、力の所謂実在性においても、やはり、力の本質であることを、証すのである。」


(二) 内なるもの


   「もし『我々』が最初の、普遍的なものをもって、悟性の概念と見なすならば」
   「この概念においては、力は、まだ、(即自的であって)対自的ではないが」
  
   「今や、第二の普遍的なものは、即時且つ対自的に、現れてきているような、力の本質である。」

<一> 超感覚的世界
α  内なるものと現象と悟性

  「意識は、内なるものに対して、媒介による、関係にたつのであり」
  「意識は、悟性としての、両力の遊戯という、この媒語を介して、諸物の真実な、後ろの、根拠を、見るのであるというように」
  「この本質は、規定せられている。」

  「この対象が、意識に対して、存在するのは、現象の運動によって、媒介せられてのことであるが」

  「内なる、真なるものは、絶対的な普遍者であって」
  「普遍者と個別者との対立から、純化せられて」
  「悟性に対して生成したものであるが」
  「この内なるものにおいて、現象する、世界としての、感覚的世界を、越えて、今や、初めて、真なる世界として、超感覚的な世界が、開けてくる」

  「この彼岸は、ひとつの、即自的なもの(自体)であって」
  「『理性』の最初の現象であり」
  「したがって、それ自身として、不完全な現象である。」

  「また、内なるものと、推理的に連結されて、存在するという関係について、悟性がつむ経験を、与える所以のものである。」

β 現象としての超感覚的なもの

  「内なるものは、意識に対して、まだ、純然たる彼岸である。」

  「そこで、現象が、彼岸を媒介するものであり」
  「現象が、彼岸の本質であり」
  「現象が、彼岸を満たす内容である。」

  「感覚的なものと、知覚されるものとの、真実態とは、現象たることである。」

  「現象とは、むしろ、存在する世界としての、感覚的な知識と知覚の世界ではなくして」
  「止揚せられた世界として」
  「或は、真実に内なる世界として、定立せられた場合の、感覚的な世界だからである。」

γ 現象の真実態としての法則

  「『我々』の対象(課題)である、悟性が、いまとっているのは」
  「悟性にとっては、内なるものが、まだやっと、普遍的な充実せられていない、自体として、生成しているにすぎぬという立場」

  「ただ、普遍的なものとしての区別」
  「言いかえると、諸対立が、還元して行った、区別があるだけである。」
  「だから、普遍的なものとしての、この区別こそは、両力の遊戯自身における、単純なるものであり」
  「その真なるものであるが」
  「こういう区別は、力の法則である。」

  「絶対に、交替する現象が、内なるものの」
  「或は、悟性の単純態に、関係することによって、単純な区別となっている。」
   

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