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Aska Temple

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ヘーゲル「精神現象学」を読む Part9

ヘーゲル「精神の現象学」 A 意識 II知覚、或は、物と錯覚 Die Wahrnehmung; oder das Ding und die Tauschung

「対象の原理である、普遍的なものは、単純でありながら、媒介せられたものであるから」
   「対象は、媒介せられたものである、ということが、自分の本性として、自分に具わっていることを、表現せざるをえぬが」
   「そうすることによって、対象は、多数の性質をもてる、物であることを示す」
「感覚的な知識の豊富な、内容は、知覚に所属するのであって」
   「ただ知覚にして、初めて、否定を区別を、言いかえると、多様性を自分も本質において、具えているのである。」

(一)物の簡単な概念


  「ところで、存在が、かく、普遍的なものであるのは、媒介態ないし、否定的なものを、具えることによってであるが」

  「そこで、感覚的な、普遍態、言いかえると、存在と否定的なものとの、直接的な、統一が、性質であるのは」
  「一者と純粋な普遍態とが、統一から、展開せられ、相互に、区別せられたうえで、この、直接的な、統一が、(媒語として)これら、両者を、相互に、連結するかぎりにおい
   て、初めて、成立することであり」
  「この統一が、それぞれ、純粋で、本質的な、右の両契機に、関係して行くことが、初めて、物を完成させるのである。」

(二)物に対する知覚の態度

  「だから、知覚するものにとっては、真理の規準は、自己自同性(自己同一)であり」

  「今や、意識に対して、あるのは、ひとつの感覚的な存在であるが」
  「この意識は、ただ、私念にすぎず」
  「そうして、これは、意識が、知覚から、全く離れ出て、己れ(私)のうちに、帰っていることを、意味している。」
  「しかし、感覚的な存在と、私念とは、自分で、知覚に移って行くから、私は、知覚の出発点に、投げ返され、そうして、再び同じ、循環過程を、即ち、各契機に関しても、全
   体としても、己れを止揚する、循環過程のうちに、引きずりこまれることになる。」

  「かくて、意識は、この循環過程を、再び遍歴するが」
  「しかし、これと同時に、二度目には、最初のときと、同じ遣りかたで、遍歴するのではない」
  「即ち、意識が、知覚についてえた、経験というのは、知覚の結果である、真なるもが、自己解体をきたすこと、言いかえると、真なるものから、己れ自身のうちへの、還帰を
   きたすということである。」
  「この経験によって、意識にとっては、自分の知覚が、本質的に、どんな具合のものであるか、即ち、単純な、純粋な、捕捉ではなくして、自分が、捕捉しているそのことにお
   いて、同時に、真なるものから出て、己れのうちに、還帰してもいるものであることが、明確になってきている。」

  「諸物自身が、即且つ対自的(絶対的)に限定されているのであり」

  「一者であることが、意識によって、引受けられるのは、性質と呼ばれた、当のものが、自由な物質として『表象』されて、初めて、成立することである。」

  「即ち意識が、自己をも、物をも、純粋で、数多性のない、一者とすると、共に」
  「もろもろの独立的な物質に分解するも亦ともし」
  「しかも、代わる代わるそうすると、いうことが分ってくる。」



(三) 制約せられぬ普遍性という悟性の領域への移行

  「物は、対自存在として、定立せられており」
  「言いかえると、あらゆる、他的存在の絶対否定として、定立せられており」
  「したがって、否定がただ、自分自身にだけ関係する」
  「絶対的な否定として、定立せられているが」
  「しかし、否定が、自分自身に関係するというのは、物が、自分自身を、止揚することであり」
  「言いかえると、自分の本質を、他者のうちに、もつことである。」

  「いったい、対象は、感覚的な、存在から、出発して、普遍的なものとなるのであるが」
  「しかし、この、普遍的なものは、感覚的なものから、出てくるのであるから」
  「本質的に、この、感覚的なものによって、制約せられて、物となっており」
  「したがって、決して、真実に、自同的な普遍態ではなくして」
  「ひとつのの対立によって、煩わされた普遍態そのものを、表現しているように見えるけれども」
  「しかし、他者に対する、存在に囚われているところの、対自存在であるに、すぎない。」
  「しかし、対自存在と対他存在の両者が、本質的に、ひとつの、統一において、あるのだから」
  「いまや、制約せられず、物ではない、絶対的な普遍態が、出来上がっており」
  「意識は、ここに初めて、真の、悟性の国に歩みいるのである。」



(四)  総括


  「だから、感覚的個別態は」
  「たしかに、直接的確信の弁証法的運動によって」
  「消失して、普遍態となりはするけれども」
  「しかし、この普遍態は」
  「感覚的普遍態であるにすぎない」
  「私念は、消失してしまっていて」
  「知覚が対象を、即自的に、あるがままに」
  「言いかえると、普遍的なもの一般としてとらえるから」
  「個別態は、知覚においては、真実の個別態として」
  「一者の即自存在として、或は、己れ自身のうちへ、還帰して、あることとして、現れてきているけれでも」
  「しかし、この、己れ自身のうちに、還帰してあることとして、現れてきているけれども」
  「しかし、この己れ自身にうちに還帰しておることも」
  「まだ、制約せられている普遍態が出現してきている。」
  「しかしながら、個別と普遍という、これらの矛盾している両極は」
  「ただ単に、並んであるだけではなく」
  「ただ一つの統一においてある。」
  
  
   


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