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Aska Temple

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ヘーゲル「精神現象学」を読む Part4

ヘーゲル「精神の現象学」 序文 三 

序文三 哲学的真理

(一)いかなる程度にまで精神の現象学は否定的であるか、言いかえると、偽なるものを含むか

   「ここでは、いったい偽なるものとしての、否定的なものに関して、事態は、どのようにであるか、という側面から、答えることができる。」

   「偽なるものとは」
   「知の内容として、真なるものであるところの、他者であり」
   「それにとっての、否定的なものとも、考えられるであろうけれども」
   「しかし、実体自身が、本質的に、否定的なものである」
   「即ち、一方では、内容を区別し、規定することとして、否定的であり」
   「他方では、単純な、区別を立てることとして、否定的なものであるが、」
   「このさい、単純な、区別を立てる、というのは、一般に、自己と知とを、区別することを、意味する。」

   「いったい主体と客体との統一」
   「また有限と無限との」
   「存在と思惟との統一などという表現は」
   「『主体』『客体』などの、それらが、統一のそとにおいてあるところのものを、意味し」

   「哲学の研究における、思惟様式であるところの、独断論とは」
   「或は、また、無媒介に知られる、ひとつの、命題に存する、と思い込む『私念』以外のものではない。」

(二)歴史的真理と数学的真理

   「この認識は、欠陥があるのに、明証性をもっているが」
   「この明証性こそは、数学が誇りとし」
   「また、数学をして、哲学に対して、昂然たる、態度をとらせる、所以のものである」

   「数学の目的ないし概念は、量であるが」
   「これこそ、まさに、非本質的な、没概念的な関係である」

   「数学の考察する、唯一のものは、量という、非本質的区別なのである」
   「空間を、その諸次元に分ち」
   「それらの、また、それらにおける、諸結合をきめるものが、概念である、ということを、数学は、捨象して、顧みない。」

   「時間とは、『そこ』に存在する概念そのものである。」
   「しかし、量という、没概念的な区別の原理と、相等性という、抽象的で、生命のない統一の原理とは」
   「時間という、生命のかの、純粋な、不安定と、絶対的な区別とを、相手とすることは、できない。」
   「(時間本来の)この否定性は、ただ、麻痺されてしまうだけであり」
   「即ち、麻痺されて、一として数学という、この認識の第二の素材とあるだけであるが」


(三)哲学的真理とその方法との本性、図式化する形式主義への反対

   「真理とは、全くそれ自身における、自己運動であるのに」
   「かの方法は、素材に外面的な認識である。」

   「これらは、すべて、いずれも、一は他と同じく、死せる悟性と、やはり、外面的な認識のしわざである。」

   「第一の運動においては、否定性とは、区別する、ことであり、定在を、定立することであるが」
   「第二の自己内還帰においては、否定性とは、限定せられた、単純態の生成することである。」

   「内容が、自分で、自分の限定を与え」
   「自発的に、己れを契機せしめ」
   「全体における、或る位置に、列せしめるということが、成りたつのである。」


   「実体は、それ自身においては、主体であるが」
   「一般にこのことによって、あらゆる内容は、自分自身で、自分のうちに還帰し、反省するものである。」
   「さて、或る定在の存立ないし、実体とは自己同一のことである」

   「自己同一とは、純粋抽象のことであり」
   「純粋抽象とは、思惟のことである。」

   「定在は、本質的には、思惟されたもの(思想)である。」

   「『存在は、思惟である』ということが、概念的に把握せられており」

   「学は、主張する、独断論に代わって、断言する、独断論、ないし、自己確信の独断論として、登場してきた」
   「あの、観念論を、とるものではなく」
   「かえって、知は、内容が、自分自身の内面に帰って行くのを、観ているものであることによって」

   「実体を、自己として、意識する、側面から、悟性の意義を、述べたが」
   「ここに言ったことから『存在する実体』としての、実体の規定からする、悟性の意義は、明らかである。」

   「定在とは、質のことであり」
   「自己同一的な限定のことであり」
   「言いかえると、限定的な、単純態であり、限定的に、思惟されたもの(思想)であるが」
   「このことが、定在の『悟性』である。」

   「定在が、種と限定せられること、まさに、このことによっては定在は、単純な思想、ヌース、単純態であり、即ち実体である。」

   「思惟の単純態とは、自分自身で運動し、区別を立てる、思想のことであり」
   「また、己れ自身の内面性にかえることであり、」
   「即ち、純粋な概念なのである。」
   「かく解したときには、悟性性も生成であり」
   「そうして、かく生成であることによって、悟性性もまた、理性性なのである。」

   「この必然性だけが、思弁的なものなのである。」
  

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