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Aska Temple

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カント「純粋理性批判」を読む Part21

カント「純粋理性批判」2.先験的方法論  第二章 第一節

第二章 純粋理性批判の規準

     「理性は実践的使用という今」
     
     「私は、規準という語によって、ある種の、認識能力を、一般に、正しく使用するための、先天的原則の、総括を意味する。」
     「一般論理学は、その、分析的部門によって、悟性、および、理性一般に対する、規準である」
     「しかし、すべての内容を捨象し去るがゆえに、形式としてのみの、規準である。」

     「理性の実践的使用に関するであろう」
     「われわれが、今や、実践的理性使用を攻究せんとする所以なのである。」

第一節 我々の理性の純粋使用の究極目的について

     「理性の思弁が、先験的使用において、結局、到着する、究極的意図は、ー意志の自由、心の不滅、および、神の存在という、三つの対象と、関係する。」

     「思弁的理性からいうと、これら、三つの命題は、つねに、超験的である。」

     「ただ、実践的なるものにのみ、関せねば、ならぬであろう。」
     「すべて自由によって、可能なるものは、実践的である。」

     「道徳律のみが、純粋理性の、実践的使用に属し、そして、規準を許容する。」

     「私は、さしあたって、自由という概念を、実践的意味においてのみ用い」
   
     「感性的にのみ、規定されあたう、決意性は、単に、動物的である。」

     「しかるに、感性的衝動から、独立で、したがって、理性からのみ、表象せられる、動機によって、規定せられあたう、決意性は、自由(自由なる決意性)である」

     「理性の法則は、命令、すなわち、自由の、客観的法則であって」

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