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Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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カントの認識論


カントの認識論には、段階があります。
まず、時間と空間の感性界。次に範疇による、悟性。そして、それを統合する、理性です。
カントは、神の存在証明を、一端、論証しても、それは、悟性の範疇では、理解できない、と、説きます。

「物自体」は人間には、解らない、という、不可知論は、近代科学哲学を、作って行く、ために、人間の認識には、限界がある、と、説く必要が、あったのではないでしょうか?

おもしろいのは、近代哲学の祖と、言われている、デカルトの「方法序説」で「神の存在証明」を行っている事です。「神が存在しているから、人間の認識には、明証性がある」

「だから、人間の認識は、正しい」という、論証を行っています、それ故の、「コギト エルゴ スム」なのです。

カントの認識論は、結局これは、人間の主観に過ぎない、という、もので、人間の捉える、客体は、物自体では、ない、というものです。

ヘーゲルが、それを、弁証法によって、客体に近づこうとしたのも、カントの、認識論による、物自体は、解らない、という、不可知論には、満足できなかったのでしょうね。

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