FC2ブログ

Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

カント「純粋理性批判」を読む Part15

カント「純粋理性批判」1.先験的原理論 第二部 先験的論理学 第二門先験的弁証論 第二篇 第三章 第三節 第四節 第五節

第三章 
第三節 思弁的理性が最高存在体の現存在を推論する諸々の論拠について

     「理性の出発点は、概念では、なくして、普通の、経験である」

     「もともと、理性は、実存在の、絶対的必然性という、長所に、適合した、存在体の、概念を、探求するものである」

     「残存する、ところの、一つのものは、端的に、必然的な、存在体である」

     「最高実在性を、有する、存在体の概念は、だから、可能的な物のあらゆる、概念のうちで、絶対必然存在体の、概念に、もっとも、適合するであろう」

     「無制限なる、いっさいの者は、しかし、絶対的統一であって、唯一の、存在体、すなわち、最高の、存在体という、概念を、具有している。」
     「それで、理性は、いっさいの、物の根源なる、最高存在体が、端的に、必然的に、存在する、と、推論するのである。」

     「それの、概念いっさいを、包括する、完全性という、唯一の長所によって、容易に、なりたちうるところの、存在体へ置くのが、適当で、なければならぬ。」

     「人々を、一神教へ、導いたものは、思索では、ない」
     「かえって、ただ、次第に、合理的に、なりいった、一般的悟性の、自然的な、歩みなのである。」

思弁的理性によってなされる神の現存在の証明は三種だけ可能的である

     「第一は、一定の経験およびこの経験によって、認識せられたる、われわれの、感性界の特殊な性質から、出発して、そこから、原因性の法則に、従って、世界の外なる
      最高原因まで、遡る。」

     「第二は、単に、不定の、経験を、基礎とするもの、すなわち、いずれかの、現存在を、経験的に、基礎とするもの」

     「第三は、あらゆる経験を、捨象し、まったく、先天的に、単なる、概念から、最高原因の、現存在を、推論するものである。」

     「第一の証明は、自然神学的」
     「第二のものは、宇宙論的」
     「第三のものは、実体論的証明である」


第四節 神の現存在の実体論的証明の不可能性について


    「絶対必然的存在体の概念は、純粋理性概念である」

    「本来むしろ、悟性、制限するに、役立つものである」

    「あらゆる時代において、人々は、絶対的必然的存在体について、語った。」

    「『神は全能なり』というのは、必然的判断である。」

    「最実在的なる、存在体の、概念が、すなわち、それである」

    「最高実在性としての、存在体を、表象すると、依然として、問題が、残る。」
    「それが、はたして、実在するや、否や、という問題が。」


第五節 神の現存在の宇宙論的証明の不可能性について



   「攻究せんとする、宇宙論的証明は、絶対的必然性と、最高実在性との連結を、保有している」

   「宇宙論的証明は、ある存在体の、あらかじめ、与えられた、無制約的必然性から、それの制限的実在性へ、推論する」

   「この自然的推理法は、普通の悟性に、対して、ばかりでなく、思弁的悟性に対しても、非常な、説得力を、伴っている。」

   「実在するものがあれば、端的必然的存在体も、実在せねばならぬ。」
   「すくなくとも私自身は、実在する。」
   「ゆえに、絶対的必然的存在体は、実在する。」

   「最高存在体は、必然的に実在する。」

   「理性は、この必要条件を、最高実在的存在体の概念においてのみ」
   「実にただ、これにおいてのみ、発見する、と、信じて、推論する」
   「『それこそ端的必然的存在体である』と。」

   「最実在的存在体の概念は、必然的現存在に、適合し、これに対して、十全的なる、概念である、しかも、唯一の概念である」

   「すべての端的に必然的なる、存在体は、同時に、最実在的なる、存在体である」

   「最実在的存在体は、いずれも、必然的存在体である。」

   「宇宙論的証明には、たとえば、次のごときものが、含まれている」

   (1)「宇宙論的証明において、因果律が、まさに、感性界を、超越するために、役立たねば、ならぬ。
   (2)「第一原因を推論する推論が含まれているが、経験における、理性使用の原理そのものは、第一原因を推論する権利を、われわれに、与えない」
   (3)「そこには、この系列の完結に関する、理性の誤れる、自己満足がある。」
   (4)「結合せられる実在性の概念の、論理的可能性と、先験的可能性との、混同がある」

   「かくのごとき、存在体が、必然的に実在する」

必然的存在体の現存在に関するすべての先験的証明における弁証的仮象の発見および証明

    「必然性と、偶然性とは、物自身に関係することは、できぬ」
    「両原則いずれも、客観的ではなくして」  
    「結局単に、理性の主観的原理でありうる」

    「その結果は、諸君が、絶対必然性的なるものを、世界の外に、想定せねばならぬこととなる」
    「諸君は、世界において、これに、到達することはできぬ」

    「絶対的必然性なるものは、思考においてのみ、存するのである。」

    「一般に、世界に、属するものは、最大なる、経験的統一の、単なる原理としての、必然体という、理念には、不適当である」
    「かかる理念は、世界の外に、定立せられねば、ならぬであろう」

    「最高存在体、という、理想は、理性の、統制的原理にほかならぬ」

    「私が、世界との、関係においてのみ、端的に(無制約的に)必然的であった、この、最高存在体をもって、物自体と、看做す場合には」
    「この必然性は、理解されあたわぬこととなる」
    「ゆえに、この必然性は、現存在の、質料的実体的制約としてではなくして」
    「思惟の形式的制約としてのみ、私の理性において、見出されていたに相違なかったのである。」

スポンサーサイト

etc | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<PHANOMENOLOGIE DES GEISTES /HEGEL V C a | ホーム | カント「純粋理性批判」を読む Part14>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。