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Aska Temple

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カント「純粋理性批判」を読む Part13

カント「純粋理性批判」1.先験的原理論 第二部 先験的論理学 第二門先験的弁証論 第二篇 第二章 第九節

第二章 純粋理性の二律背反

第九節 すべての宇宙論的理念に関する理性の統制的原理の経験的使用について

一、現象を綜合して世界全体性たらしむるところの綜合の総体性に関する宇宙論的理念の解決

   「世界の量に、関しての、宇宙論的問題に、対する、第一の、そして、消極的な、解答は、次のごとくである」
   「世界は、時間上、第一起始を、有せず、空間上、最極端の限界を有しないと。」

   「現象のみが、世界において、制約的に、限界せられているが、世界自身は、制約的にも、無制約的にも、限界せられていないのである。」


二、直感に与えられた一つの全体的なものの分割の総体性に関する宇宙論的理念の解決

数学的、先験的理念の解決に対する結語および力学的、先験的理念の解決に対するまえおき

   「われわれは、純粋理性の二律背反を、すべての、先験的理念を通じて、一つの表において、現し」
   「それにおいて、この背反の理由と、これを、除去する、唯一の方法とを、明らかにした」
   「そして、この方法は、対立せる、両主張を、ともに、偽りなりと、することいおいて、成立した」

   「今や、われわれは、しかし、悟性の、力学的概念へ、それが、理性観念へ、適応すべきかぎりにおいて、進まねばならぬ。」

   「力学的理念が、現象系列の外ににある、現象の制約ーそれ自身、現象ならざる制約ーを、認容することによって、数学的二律背反の、成果とは、まったく、異なった、結果
    が生ずる。」

   「一方においては、悟性に」
   「他方においては、理性に、満足を、与えることができる」


三、世界の出来事をその原因から導き出す導出の総体性に関する宇宙論的理念の解決

   「出来事に関して、二種の、原因性のみが、考えられる」
   「自然に従える原因性」
   「自由からの原因性とが、それである。」

   「私が、宇宙論的意味における、自由、という言葉によって、意味せんとするのは」
   「一つの状態を、自ら始める、能力である」

   「自由は、この意味において、純粋先験的理念であって」
   「それは、第一に、経験から、導出された、なにものをも、含まない」
   「第二に、その対象は、いかなる経験においても、限定せられて、与えられあたわぬ」

   「自由の実践的概念が」  
   「自由の先験的理念を、基礎とすること」

   「実践的意味における、自由、とは、決意性が、感性の、衝動による、強制から、独立することである。」

   「人間の決意性は、感性的である」
   「けれども、動物的ではなくして、自由である」


自然必然性の普遍法則と連結せられざる自由による原因性の可能性

   「私は、感能の対象において、それ自身、現象ならざるものを、可想的という」

   「すなわち、物自体そのものとしての、それの、働きに、関しては、可想的として」
   「感性界における、現象としての、それの、結果に、関しては、感性的として、認められあたう」

   「われわれは、かくのごとき、主観の、能力について」
   「その原因性の、経験的、および、知性的概念を、構成しあたうであろう」

   「その、可想的性格からいうと」
   「同じ、主観は、感性と、現象による、限定、との、あらゆる影響から、解放せられねば、ならぬであろう。」
   「主観においては、それが、可想体であるかぎり」   
   「なにごとも、生起せず、力学的時間限定を、要求するところの、なんらの変化も」
   「したがって、原因としての現象との、なんらの連結も、見出されぬゆえに」
   「そのかぎりで、この活動的存在体は、感性界においてのみ、見出されるところの」
   「いっさいの自然必然性から、かれの行為において、独立であり」
   「自由であろう。」


普遍的自然必然性と連結せられたる自由という宇宙論的理念の解明

   「自然法則によれば、出来事とは、すべて、原因を、有する」
   「その原因を、現象のうちに、有し」
   「それによって、限定せられる」
   「すべての出来事は、自然秩序において、経験的に、限定せられているのである。」

   「これは、悟性法則であって、いかなる、口実のもとにも、これに違反するを、許さず」


   「いうところの、原因は、そのかぎりにおいて、現象ではなく」
   「この能力からいって、可想的である」

   「ここに、能力を、可想的というのは」
   「悟性の、純粋な、理由において、存するからで」


   「人間は、感性界の、一現象で」
   「そのかぎりにおいて、また、その原因性が、経験的法則に、従わねばならぬ、ところの、自然原因の一つである。」

   「かれ自身、一方においては、もとより、現象体であるけれども」
   「他方においては、というのは、一種の能力に関しては、単なる、可想的対象である」

   「われわれは、この能力を、悟性、および、理性、と名づける。」

   「理性は、その対象を、単に、理念に則って、考量し」
   「悟性を、理念に則って、限定し」
   「しかる後に、悟性が、かれの、概念(これも純粋であるが)を、経験的に、使用するからである。」

   「理性は、現象に関して、原因性をもつ、と、いわれうる、と、仮定すれば、理性は、その経験的性格(感能的性質)においては、まったく、精密に限定せられ」
   「その働きは、自由であると、いわれうるのでは、あるまいか。」

   「理性が、現象に関して、原因性を、有し、あたう場合、には」
   「理性は、それによって、諸々の、結果の、経験的系列の、感性的制約が、始まるところの、一つの、能力である。」

   「人間自身が、現象である。」

   「理性自身は、現象ではなく」
   「感性のいかなる制約にも、従属しておらぬゆえに」
   「理性においては、その、原因性の、概念に、おいてさえも、なんらの、時間継起も成立せず」
   「したがって、理性に対しては、規則に従って、時間継起を、限定するところの、力学的自然法則は、適用せられあたわぬからである。」

   「それゆえに、理性は、自由に、働く」
   「そして、自然原因の、連鎖の中において、時間的に、先行する、諸々の外的、あるいは、内的なる理由によって、力学的に、限定せられているということは、ない」
   「理性の、かくのごとき自由は」

   「出来事の系列を、自ら始める、能力、という、積極的言表によって、現すことができる」

   「理性は、かのすべての、感性によって、全然触発せられぬ」
   「理性は、変化せぬ」

   「理性は、現象を、自然法則に、従って、必然的ならしむるところの、感性的制約の系列に、属しない」
   「理性は、あらゆる時間的事情、における、人間の、あらゆる行為において、現在し」
   「それ自身、時間において、存しない」

   「可想的原因が、自由であること」
   「詳しくいえば、感性から、独立に限定し」
   「よって、もって、現象の感性的には、無制約的なる、制約と、なりうることは、われわれの、認識しあたうところである。」

   「同一の行為において、自由は、自然必然性と、矛盾するか」

   「自由にあっては、自然必然性におけるとは、まったく異種的なる、制約に対する、関係が、可能的なるが、ゆえに、自然法則は、自由を制限せず」
   「したがって、自然必然性と、自由とは、相互に、独立に」
   「相互に、あい妨害することなく、存立しあたう、ことを、われわれは、明らかに、したからである。」

   「ここで、自由は、単に、先験的理念として、取り扱われる」 
   「理性は、この理念を借りて」
   「現象における、制約の系列を、感性的無制約者によって、端的に、始めんと考えるのであるが」
   「しかし、これがために、かれが、悟性の経験的使用のために、規定したところの」
   「かれ自身の、法則との、二律背反に巻き込まれることとなる。」
   「かくして、この二律背反が、単なる仮象を、基礎とすること」
   「自由の、原因性に対して、自然は、少なくとも、矛盾せぬこと」
   「かくのごときは、われわれが、なしとげた唯一の事柄である」
   「これが、実にただこれのみが、われわれにとって、重要な、関心事だったのである。」


四、現象の現存在一般から見られる現象の依存性の総体性に関する宇宙論的理念の解決


「必然的存在体へ到達せしむる手引」

   「実体そのものの、無制約的実存在である。」

「実体そのものの、偶然的現存在を、必然的現存在から、導出することであるがゆえに」


   「似て、非なる、二律背反にあっては、なお、一つの逃げ道が、開かれている」
   「相互に、矛盾する、両命題が、異なった意味において、同時に真たりうる、というのが、それである」
   「感性界のすべての物は、まったく、偶然的である」
   「 経験的に制約せられた実存在のみを有する」
   「全系列に関して、非経験的制約」
   「無制約的必然的存在体が、成立する。」

  「この存在体は、可想的制約であって」
  

  「自由にあっては、物自身が、原因として」
  「制約の系列中に、属し」
  「その原因性のみが、可想的として、考えられる」

  「必然的存在体は、(超世界的実在として)まったく、感性界の系列の外において、単に、可想的に、考えられねば、ならぬであろう。」

  「感性界における、いっさいは、経験的被制約的実存在を、有すること」
  「一般に、感性界においては、いずれの性質に関しても、無制約的必然性は、存せぬこと。」


純粋理性の全二律背反に体する結語

  「われわれの理性概念によって、対象とするものが」
  「単に、感性界における、諸制約の総体」
  「および、これに関して、理性に有用であるものなるかぎり」 
  「われわれの理念は、先験的であるけれども」
  「まったく、感性界の外にあるもの」
  「すなわち、あらゆる、可能的経験の外にあるもののうちへ、おくやいなや、理念は、超験的となる」
  「この種の理念は、経験的理性使用の完結(これは、けっして、完結されない、けれども、追求せられねばならぬ、理念たるに、とどまるのであるが)に、役立つばかりではな
   く」
  「かえって、自己を、まったく、これから、分離し」
  「己れ自身を、対象たらしめる」


  「かくのごとき、超験的理念は、単に、可想的なる、対象を、有するのであるが」
  「この対象を、先験的客観として」
  「許すことは、もとより、認容せらている」
  









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