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Aska Temple

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カント「純粋理性批判」を読む Part6

カント「純粋理性批判」1.先験的原理論 第二部 先験的論理学 第二門 先験的弁証論 第二篇


第二門 先験的弁証論 

第二篇 純粋理性の弁証法的推理について

第一章 純粋理性の誤謬推理について

    「私が、思惟する、というのは、だから、合理的心理学の、唯一の主題であって、合理的心理学は、その智慧を、まったく、この主題から、展開しなければならぬ。」

    「一 心は実体」
    「二 性質上単純的」
    「三 それにおいて、在る、種々なる時間からいって、数量上、同一的、すなわち、単一性(非数多性)」
    「四 空間中の可能的諸対象と、交互関係を、有す。」

    「私が、与えられた、直感を、それにおいて、いっさいの、思惟が、成り立つ、ところの、意思統一に関して、限定することによって」
    「いずれかの、対象を、認識しあたうのである。」

    「私の、内的直感(それの、多様が、思惟における、統覚の、統一の、普遍的制約、に、則って、結合せられうるかぎりにおいて)の、意識のみが、客体なのである。」

    「合理的心理学の仕方においては、次の、推理法によって、現される、ところの、誤謬推理が、行われている」

    「主語として、以外に、思惟せられあたわぬものは、また、主語として、以外に、実在しない、すなわち実体である。」
    「さて、思惟体を、思惟体としてのみ、観れば、主語として、以外に、思惟せられあたわぬ。」
    「ゆえに、それはまた、主語としてのみ、実在する、すなわち実体として、実在する。」
   


心の存続性に対するメンデルスゾーンの証明の反駁

    「多数の単純な実体は、しかし、ふたたび、融合されて、一つの実体と、なりうるであろう」
     
    「一 私が思惟する。」
    「二 主体として。」
    「三 単純な主体として。」
    「四 私の思惟のすべての、状態において、同一的主体として。」

    「合理的心理学は、われわれの、自己認識に対して、われわれに、なんらかの、追加を、給与するところの、理説(Doctrin)としては、存しない、かえって、ただ、訓練
(Disciplin)としてのみ、存する」

    「諸々の範疇の根底に、存するところの、意識統一が、合理的心理学に、おいては、客観としての、主観の直感と、解せられ」
    「実体の範疇が、これに、適用せられるのである。」


心理学的誤謬推理解決の結語


    「私における実体的なものを、先験的主観として、認識する、と、信ずる」

合理的心理学から宇宙論へ映るについての一般的註

   「『私は思惟する』あるいは『私は思惟して実在する』という命題は、経験的命題である」
   「しかし、かかる、命題の基礎には、経験的直感が存する」
   「それゆえに、また、思惟せられた客体が、現象として、その、根底に、存している」
   「かくして、われわれの理説にしたがうと、心は、徹頭徹尾ー思惟においてさえもー現象に、変ぜられてしまい、」
   「したがって、われわれの意識そのものは、単なる仮象であって、実際、なんら、めざすところのものが、ないかのような、観がある。」

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