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Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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STRAWBERRY SWITCHBLADE

STRAWBERRY SWITCHBLADE

 1985年に発表された、STRAWBERRY SWITCHBLADE の唯一のアルバムである。12インチシングル自体は、何枚か出ていて、ボーナストラックにも数曲入っている。おニャン子
クラブの作曲家が、イントロをパクった、「ECSTACY」 も収められている。「SINCE YESTERDAY ふたりのイエスタディ」が、日本でも大ヒットした事で知られている。
 僕は、リアルタイムで、彼女らを、知らなかった。受験勉強に明け暮れ、もう、1984年には、12インチシングルが、日本でも、輸入され、評判になっていたが、もう、その頃は、ポピュラー音楽どころでは、なかった。
 34歳の時、彼女が、出来た。それまで、わざと、ガールフレンドのまま放っといていた、女の子達が、次々と結婚していったので、彼女を作る事にした。最初は、自分に自信のない、お世辞にも、美人とはいえない、女の子だったが、若かった。9歳年下の女の子だった。逢う度に、綺麗になっていくのが、愉しみだった、本当に、デートする度に、美しく彼女は、変貌していった。本当の美人になるには、知性もいるから、と、一緒に、フランス語の勉強会を、デートを兼ねて、喫茶店でしていた。素直な女の子だった。
 彼女の方から、ホテルで休もうと、言って来た。映画「ヴァージンスーイサイズ」を京都で観た後、河原町の、ホテルに入った。襲って来たのは、彼女の方だった。僕の巻き髪を舐めて、襲って来た。二人は、抱き合い、僕も、若い女の子の上半身を堪能した。お互い、ジーパンは脱がなかった。万博公園でデートした時、彼女の写真を撮った。恐ろしく、美しい女に、変貌していた。私たちは、日本橋のホテルで休息し、また、彼女の胸を弄び、自分で事を済ませた。日本橋から、難波、心斎橋まで、彼女は、僕の腕を噛みながら、二人で歩いた。メリーゴーランドの一番上で、二人きりの僕らは、彼女のドレスに、手を入れ、乳首を弄んだ。メリーゴーランドを降りるや否や、彼女は、僕の腕を噛み、腕を噛まれたまま梅田を歩いた。真夏のデートで、曾根崎のホテルに入った。相当ディープな、ラヴアフェアだった。その時は、二人とも、ジーパンは脱いだ。でも。彼女のショーツは脱がせなかった。指を入れると、本当に、濃い、ヘヴィシロップが、指にまとわりついた。私は、彼女の上半身を堪能した。本当の情事は、リッツカールトン28Fで泊まった。最期の一線を越えなかったのは、それをやると、婚姻の義務が生じるからだ。一線こそ越えなかったが、ギリギリまではやった。一晩中、彼女の肉体を、堪能した。
 別の女との、鳥羽でのデートで、本物の真珠のハンドネックレスを買った。クリスマスのデートの時、彼女にプレゼントした。本物の真珠のハンドネックレスの、良く似合う、本当のレディーに彼女は、変貌していた。僕は、このSTRAWBERRY SWITCHBLADEの、CDRを渡した。彼女の僕に対する、幻想や妄想は、その時、異常だった。
 「これ、聴いたら、俺、どんな男か解るわ。こんなんエエって、言ってる、世界中、何処にでもいる、普通の男や。別に、日本の芸能人に興味がないだけや、」
と、吐き捨てるように、CDRを渡した。彼女はその夜。「あんたがどんな男か解ったわ。」と、言った。
 彼女と、ゴージャスなデートができたのも、全て、CDが東京で、売れていたからだった。その頃、ぴったり、販売数は、減った。「お泊まりするなら、リッツカールトンでなきゃ
嫌。」という、金のかかる女と、あれ以上付き合えなかった。
 彼女の写真は、自分の写真作品として、今でも飾っている。数年経って、彼女から、追いかけて来られたりもしたが、僕は、取り合わなかった。今は、立派な女社長になっている
と聴く。
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