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Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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WALK ON /BOSTON

WALK ON/BOSTON

 1994年にMCAから発表された、BOSTONの4thアルバムである。エアサプライの2人をVoに招き、GARY PIHLという、ヘヴィメタリックなギタリストが参加した、爽やかな、BOSTONらしい、アメリカンハードロックアルバムである。このアルバムの3曲目の「LIVIN' FOR YOU」は名曲として、名高く、2000年代に入って、発表された「コーポレイト
アメリカ」にも、「LIVIN' FOR YOU」LIVEヴァージョンが収まられている。
 当時、私は、PRISONER NO,.6というバンドのギタリストで、それなりに、モテていたギタリストだったが、治療を受けていた、大阪の精神科の院長の催眠治療を受け。
「君の精神病は、女性体験の不足から起こっている。」と、診断され、病院に行くっと言って、風俗に通う事を、勧められた。金には、当時、困っていなかった。アルバイトもしていたし、父の商売の通信販売係もしていて、給料の代わりに、バンド活動費をだしてもらっていた。
 実際、入ってみた、風俗は、ソフトなファッションヘルスで、女の子は、パンツを履いたままだった。当時の僕は、上半身専門だったので、其処が気に入った。指名もしていないのに、毎回、同じ女の子に当たった。話しをきけば、女子大の学費を払うために、こんなバイトをしている、との事。僕も、立命館大学の夜間部に働きながら、通った経験を話すと、すぐ、仲良しになった。アルバイト代は、みな、その風俗嬢に逢う為に使った。バンドの活動は、順調で、父の商売も、何万円もする、漢方薬が、飛ぶ様に、売れて、潤っていた。ガールフレンドは、ライヴサーキットを重ねるにつれ、増えて行き、皆と、文通した。遠くから、自宅まで、泊まりに来られても、僕だけ、母屋に寝た。そういうのが、嫌いだったのである。
 まだ、難波のソープランドがあった時、3回ぐらい通った。1回目は巧くいかなかった。私は、スキンが苦手なのである。2回目の女は、ピルを、飲んでいるから、大丈夫と、生でしてくれ、と言う。女の両脚が、僕の腰を、撒いて、事が済むまでは、離してくれそうもなかったので、中で出した。あの、女はピルを飲んでいなかったのかもしれない。もし、あの時、子供が、出来て入れば、今、調度20歳だ。飛田新地も一回だけ、行った。まるで女優みたいな、綺麗な女の子だったが、巧くいかなかった。わたしは、 SEXが下手なのだ。それに、女の下半身は、あまり、好きじゃない。
 ガールフレンド達は、誰も、彼女と言える、親密な関係にならなかった。でも、文通は愉しかったし、CDや本やいろんなものをプレゼントし、彼女等も、いろんな物を、プレゼントしてくれたり、貸してくれたり、した。風俗嬢は、自分の財布から、延長料金を、受け付けに払ってくれるようになった。外で逢いたいけど、ママさんがうるさいからと。たしかに、あの当時の僕らが、大阪の街を闊歩していたら、目立ち過ぎただろう。
 30歳を過ぎた時、風俗嬢と店外デートした。長谷寺や、三輪神宮を一緒に廻って、鍋をつついて、別れた。記念写真を撮ってくれた人は、婚約した、カップルみたいに、思っただろう。私たちは、それだけ、仲が良かった。もう一度、デートする空約束を、お互いして、別れた。僕は、外で会えただけで、満足し、風俗は卒業した。
 BOSTONの「LIVIN' FOR YOU」は、そんな風俗嬢との日々、いつもかけていた、曲だ。

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