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Aska Temple

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ZEITWELLE

NEU NICHTS 019
ZEITWELLE / Aska Temple
nr019.jpg

1. ZEITWELLE
2. 飛鳥、蓮の花

ゲーテ的世界観を現代に再興する音楽
岡山ペパーランド主宰 能勢伊勢雄

私たちは“人間”の視点から世界を本当に見るとどのように見えるのか―このような問題意識をいつの頃か忘れてしまい、近代的自我を確立した。現在常識のようになった無限遠点で消滅する遠近法とは逆に、“人間”の視点から世界を眺めると、視線は扇状に遠方に遠のきますます世界は拡がっていく。これが私達の視線から見える世界の有様である。このことを知るには開かれた陸地や海洋を見てみれば明らかで、そこでは世界は視野に入らない程拡がっている。どこにも遠近法的世界は存在しないのだ。
私たちが見ている地上の遠近法的世界は、閉じられた空間の中に配置された世界に見出される光景である。いや、別の見方をとれば視線が縁符にいくほど地上的な世界は遠近法的に収束するのだといえる。絵画の成立以前は私たちの視線は無限に開かれたものとしてあったが、絵画の成立と共に遠近法的世界に取り込まれていったのだ。
“人間”の視線に立つ限り、世界は無限に眼前に拡がっているにもかかわらず、絵画という視野を限定した認識形態が遠近法的世界を完成させていったのである。こうしてみると無限遠点で消滅する遠近法とは、頭の中で作り上げた〈認識〉に過ぎないことが理解される。真に世界と向き合っている者には、世界とは人間の〈自己意識〉から無限に拡がっていく無限空間以外には存在しないはずだ。そして、無限に拡がりながら拡張する〈自己意識〉が見出す果ての世界に、天空の星座群がある。この星座群に幾多の天使を発見したのが、今日宗教画と呼ばれている中世絵画であった。ドーム中空に浮遊する天使。視線を収束せず、遠近法的消滅点を持たないドームという天蓋の中に、私たちを包込むように顕れる星辰の化身であるところの天使の姿を視えるがままに描いた絵画だった。
このように見てくると私たちが生きている世界の実相は、近代的認識に飼い慣らされた思考法を根底から覆すことになる。弓場宗治氏の音楽から感じることはこのことだ。
彼の音楽には近代的思考法を根底から覆す力がある。自我の〈確立〉とは逆に、〈自己を忘却〉した者に対しての警鐘がここにある。近代的自我が認識した世界観とは、自己を地上界にあけ渡し、物質の成り立ちから人間を捉えようとした世界観に他ならない。この世界観にもう一度、「自己の体験で捉えろ!!」と警鐘を鳴らしたのがゲーテである。ヘーゲルはゲーテに宛てた私信の中で、弁証法をゲーテの「植物形態論から作った」ことを告げている。つまり、ヘーゲル弁証法はゲーテ的認識から誕生したのである。弓場宗治氏との最初の出逢は衝撃的だった。ライブ終了後、ヘーゲル、マルクス、西田幾多郎、梯明秀の話をしたことを昨日のことのように思い出す。幾多のミュージシャンと出会ってきたが、弓場氏のようにこのようなことをシリアスに話題にしたアーチストとの出逢は私にとっては初めての体験だった。
現代のクラブ・ミュージックシーンに計り知れない影響を与えたSYSTEM 7のスティーブ・ヒレッジは、最も重要なマスト・ミュージックとしてマニエル・ゴッチングの『E2-E4』('84年にリリース)を取りあげている。ゴッチングはこのアルバムの中で反復するグリッサントを用い、その反復がもたらす快感の内に人を脱魂状態へと導いたのである。かってのプログレッシブ・ミュージックがエキセントリックでメロディックな、言わばモーツアルト的な快感に上滑っていく中で、ゴッチングが見せた反復は人を徐々にゆっくりと開放した。それはあたかも太古の祝祭的音楽がそうであったように…、である。弓場氏の反復するギターによるグリッサント音もゴッチングの音楽と同様にリスナーに機能する。反復がもたらす永遠感。この永遠感は視線が無限空間に拡がっていく永遠感と同様のものだ。カデンツをもって曲を収束させ一曲の終わりとする近代的作曲法とは全く逆のベクトルがここにある。シェーンベルグが音楽活動を開始する時代に、ラヴェルはヨーロッパの古典音楽に戻ろうとした楽士である。彼らはともに古典音楽が持っていた、永遠に続く無限感を音楽の中に持ち込もうとした。ヨーロッパの民衆音楽が古代より受け継いできたゲーテ的世界観である。
「ラヴェルの音楽には気品が保たれていて、ラヴェル以下の音楽は創りたくない。ラヴェルの気品は真摯に生きることによって醸し出されたものだ」と言い切る弓場氏は、モーツアルトの音楽すらもPOPなセンスが認められるために評価を与えない。これは、彼が世界から遊離する〈自己意識〉に搦め捕られることを嫌悪する顕れである。ここに、カデンツの成立と絵画における遠近法の発見が同時になされていたことを考慮すると、弓場氏の音楽に対する理解の深さが理解できるだろう。
マスメディアが発達し近代的意識に画一化されていく中で、弓場氏のような視線が培われてきたことは奇跡に近く、おそらくこの奇跡をもたらした要因は、彼がクラシック音楽に挑戦したことや、いにしえの面影を残す、広くひらけた明日香村一帯の景観と共に暮らしてきたことと無関係ではないだろう。その中で弓場氏が音楽で試みたことは、もう一度私たちの近代的視線を天界に戻すことなのである。この音楽的試みに、ビジュアルの世界から森山雅夫氏のジャケットがものの見事に応えている。ジャケットデザインを担当している森山氏と私とは阿木譲編集の『ROCK MAGAZENE』で私が編集・執筆していた時代のデザイン担当者という因縁もある人物だが、その彼が、見上げるような位置に、天蓋であるドーム中空に浮く大天使をコラージュする。このビジョンは無限に拡がり星辰の世界でとどまる〈自己意識〉を持つ者のみに幻視できる(厳密には視えてしまい、天使から動かされていることを知る)星辰的世界だ。あまりにも見事にコラボレートしたビジュアルと音楽のシンクロは神秘学の基本中の基本である「視界(ビジョン)は音界(イメージ)に、音界は視界に」変容することを実現している。つまり、詳細はふれないがナータン系とソロモン系イエスの顕現がここにあり、天界と地上界の交感が起きる。このような意味で、このCD『ZEIT WELLE』はジャケット・アートを見ながら特に聴いて欲しいCDである。そうすることにより、現代人の意識の中に〈自己意識〉を再び取り戻すことの〈秘義〉を音楽を通じて体験するのである。このような認識はフランスの幾何学者ディザルクによって古代幾何を体系化した射影幾何学とも深く関連し、現代思想の根幹を成したドゥルース+ガタリの『ミル・プラトー』においても述べられている。
そして、西田・梯哲学がこのギリギリの〈場所〉に成立した〈ヘーゲル弁証法〉と〈無〉の哲学であることを思い出してみると、弓場氏の中での「音楽と思想」の見事なまでの一貫性に気付いていただけると思う。こうしてみると、森山氏がジャケットデザインで描いた世界は射影幾何学的世界のビジュアル化であり、レーべル名「Nichts Records」に込められた「新しい無」という意味も理解していただけるだろう。
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テーマ:CD・DVD - ジャンル:音楽

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