Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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ZERO SCIENCE=MUセルフライナーノーツ

ZERO SCIENCE=MU セルフライナーノーツ

                 弓武声慧

 ASKATEMPLEの作品「SEIN UND WISSENSCHAFT」は、科学の前提となる形而上学は、全てキリスト教の神である、という西洋哲学史の常識を音楽化したものでした。エルンストブロッホの円環的形而上学の中心のSEIN、マルティンハイデッガーの、SEIN UND ZEITの、SEIN、サルトルの存在と無の、SEINは、全て、キリスト教の神の存在と人間の在り方について、語られた哲学書です。デカルトの『方法序説』では、有名な「我、考える故に我あり。」という言葉が残されていますが、「方法序説」を、実際読んだ方は、それが、デカルトの、キリスト教信仰告白書に過ぎないものである事は、お解りのはずです。デカルトは、キリスト教の神の存在を論証し、その神の存在故、人間の認識の明証性
を説くのです、それ故の「我、考える故に我あり」なのです。1+1=2という明証性は、全て、キリスト教の神の存在の明証性から来るものなのです。それは、カントが、「純粋理性批判」で、展開する、主観的客観の人間理性の問題へと、繋がっていきます。
 さて、今回の「ZERO SCIENCE=MU」についてです。現段階では、タイトルナンバーのミックスダウンが終了したばかりで、アルバムの完成には今年いっぱいかかってしまうかもしれません。完成したばかりの、24分に及ぶ、タイトルナンバーについてですが、Nicolai丸濱氏の全面的協力によって、この曲は、John UbelとNicolai丸濱氏の共作曲であります。ホームスタディオのレコーダーのエフェクトイコライザー処理等の、ティーチング、KORG MS-2000のデジタルオペレイティング、曲全般のプロデュース等、全て、Nicolai丸濱氏の協力のもと作られております。また彼のNORD WAVEによる、メロトロン、シンセリードなどの彼のプレイも、重要な曲の要素です。
 曲は、ミニマルなシンセプレイに、Nicolai氏のチェンバロがまとわりつくように始まります。そして、後半部、Ubelのピッキングハーモニクスギターの2重奏が始まるあたりで、リズムのテンポが早まり、そして、般若心経が、ヴォコーダーで唱えられます。
その伏線として、右チャンネルには、ヘーゲルの「精神現象学」、左チャンネルには、ハイデッガーの「存在と時間」の、ドイツ語テキストの朗読が、Nicolai氏のエフェクト処理によって、Ubelがreadingしています。
 何故、般若心経か?それは、この曲のタイトルに繋がる設定であります。量子力学による、クォークより、小さな素粒子、チャームやアップ、ボトムなどの物質は、確認され発表されているにも関わらず、世界中の全ての科学者が、その存在を確認しているわけではありません。まさに、西田幾多郎氏の説く絶対無の世界が、量子力学の世界では起こっているのです。湯川博士は、西田哲学の絶対無の思想から、中間子を発見されました。Askatempleは、SEINの行き着く果ての、「無」の世界を音楽化しようと、試みました。
般若心経における「色即是空、空即是色」とは、精神と物質の関係が、円環的な関係を結ぶ事を表しています。その中心にあるのは、「無」なのです。ハイエナジーでピッキングハーモニクスギターが唸る中、般若心経が突然唱えられる音の中で、表現されているのは、物質の極限状態で、顕われる、精神の世界そのものです。
 そして、それは、Johnubelが3歳の時の、2度目の洗礼名であり、3歳の時得た、ドイツプロテスタント牧師名、John Matthewが、3度葬られた後に、取り戻した、法名、弓武声慧が、第一次世界大戦直前に世界中に離散した、Zdbac家の末裔として、ヨーロッパ思想を旅し、日系ユダヤ人として、日本に戻って来た、思想の旅の円環的帰結でもあるのです。


                        2009.7.3
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