Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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EAST WEST/RICHARD PINHAS

EAST WEST/RICHARD PINHAS

 1970年代後半、「STAND BY」で、衝撃のメジャーデヴューをはたした、HELDONだった、シークエンスに、ギターシンセサイザーが絡まる独特のサウンドに、プログレファンは、大喜びした。その後、リシャールピナス名義で、いくつかのソロアルバムが発表された。この、EAST WESTは、1980年の作品だ。E-MUを効果的に使っている作品で、POPですらある。
 2006年、我々ASKATEMPLEは、RICHARD PINHAS BANDの大阪公演の、サポートアクトをやった、僕は、リシャールピナス氏の事を、大先生と、思っていたので、姿を見かけるや否や「メルシー」と、言いかけると、ピナス大先生は、僕に向かって、「白痴のクリスチアン!」と、日本語で言った。尊敬している、大先生なのに、何故、僕なんかに、ライバル意識をむき出しにしているのか、解らなかった。
 HELDONといえば、'68年の学園闘争のバリケード内での演奏がキャリアの出発点だった、NEW LEFTのバンドとして、知られている。話しは、変わるが、僕は、母が死んだ後、数ヶ月、Village の共産党支部に、お世話になっていた。いつものように、議員と一緒に、ビラの整理をしていると、農家のおじさんが、やってきて、協同組合の組合費を横領して、
大きな、邸宅を建てた、区長の話しを、もちかけてきた。
 「あそこの娘、嬢さん面して、すまして、車に乗って、大學に行きよる。あんなん、手込めにして、女郎屋に売らんとあかんのか?」
 共産党議員は、ビラの束を、机に打った。
その、区長の娘は、女郎屋に売られた。


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STRAWBERRY SWITCHBLADE

STRAWBERRY SWITCHBLADE

 1985年に発表された、STRAWBERRY SWITCHBLADE の唯一のアルバムである。12インチシングル自体は、何枚か出ていて、ボーナストラックにも数曲入っている。おニャン子
クラブの作曲家が、イントロをパクった、「ECSTACY」 も収められている。「SINCE YESTERDAY ふたりのイエスタディ」が、日本でも大ヒットした事で知られている。
 僕は、リアルタイムで、彼女らを、知らなかった。受験勉強に明け暮れ、もう、1984年には、12インチシングルが、日本でも、輸入され、評判になっていたが、もう、その頃は、ポピュラー音楽どころでは、なかった。
 34歳の時、彼女が、出来た。それまで、わざと、ガールフレンドのまま放っといていた、女の子達が、次々と結婚していったので、彼女を作る事にした。最初は、自分に自信のない、お世辞にも、美人とはいえない、女の子だったが、若かった。9歳年下の女の子だった。逢う度に、綺麗になっていくのが、愉しみだった、本当に、デートする度に、美しく彼女は、変貌していった。本当の美人になるには、知性もいるから、と、一緒に、フランス語の勉強会を、デートを兼ねて、喫茶店でしていた。素直な女の子だった。
 彼女の方から、ホテルで休もうと、言って来た。映画「ヴァージンスーイサイズ」を京都で観た後、河原町の、ホテルに入った。襲って来たのは、彼女の方だった。僕の巻き髪を舐めて、襲って来た。二人は、抱き合い、僕も、若い女の子の上半身を堪能した。お互い、ジーパンは脱がなかった。万博公園でデートした時、彼女の写真を撮った。恐ろしく、美しい女に、変貌していた。私たちは、日本橋のホテルで休息し、また、彼女の胸を弄び、自分で事を済ませた。日本橋から、難波、心斎橋まで、彼女は、僕の腕を噛みながら、二人で歩いた。メリーゴーランドの一番上で、二人きりの僕らは、彼女のドレスに、手を入れ、乳首を弄んだ。メリーゴーランドを降りるや否や、彼女は、僕の腕を噛み、腕を噛まれたまま梅田を歩いた。真夏のデートで、曾根崎のホテルに入った。相当ディープな、ラヴアフェアだった。その時は、二人とも、ジーパンは脱いだ。でも。彼女のショーツは脱がせなかった。指を入れると、本当に、濃い、ヘヴィシロップが、指にまとわりついた。私は、彼女の上半身を堪能した。本当の情事は、リッツカールトン28Fで泊まった。最期の一線を越えなかったのは、それをやると、婚姻の義務が生じるからだ。一線こそ越えなかったが、ギリギリまではやった。一晩中、彼女の肉体を、堪能した。
 別の女との、鳥羽でのデートで、本物の真珠のハンドネックレスを買った。クリスマスのデートの時、彼女にプレゼントした。本物の真珠のハンドネックレスの、良く似合う、本当のレディーに彼女は、変貌していた。僕は、このSTRAWBERRY SWITCHBLADEの、CDRを渡した。彼女の僕に対する、幻想や妄想は、その時、異常だった。
 「これ、聴いたら、俺、どんな男か解るわ。こんなんエエって、言ってる、世界中、何処にでもいる、普通の男や。別に、日本の芸能人に興味がないだけや、」
と、吐き捨てるように、CDRを渡した。彼女はその夜。「あんたがどんな男か解ったわ。」と、言った。
 彼女と、ゴージャスなデートができたのも、全て、CDが東京で、売れていたからだった。その頃、ぴったり、販売数は、減った。「お泊まりするなら、リッツカールトンでなきゃ
嫌。」という、金のかかる女と、あれ以上付き合えなかった。
 彼女の写真は、自分の写真作品として、今でも飾っている。数年経って、彼女から、追いかけて来られたりもしたが、僕は、取り合わなかった。今は、立派な女社長になっている
と聴く。

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DRAW THE LINE/AEROSMITH

DRAW THE LINE/ AEROSMITH

 「ROCKS」の成功で、全米トップ1ハードロックバンドになった、1977年のエアロの「DRAW THE LINE」である。あの当時は、日本中、洋楽ブームで、KBS京都の洋楽番組では、このアルバムの「DRAW THE LINE 」や「KINGS AND QUEENS」ばかり、ヘヴィローテーションされていた。
 歌詞の内容は、前作「ROCKS」の「バック イン ザ サドル」でバックでSEXしている歌詞と、同様、今度は、騎乗位で、女がグラインドする様を描いている。全く、「よーやるわ!」という、歌詞なのだが、ROCKが、男の子の性的欲求を満たす音楽である限り、このような、歌詞は、性教育にもなるし、これもありである。
 子供の頃、9歳と10歳という年齢で、布施の銭湯で、若い大人の女に犯された経験を持つ、僕だが、15歳の時、当時のガールフレンドが、堂々と、みんなのいる、教室の中で、「DRAW THE LINE」をいきなり、僕の膝に乗って、やり始めた。スカートを自分で捲り、俺の一物を、「ここかな?」「ここかな?」「あっここだ!」とサーチングし終わると、いきなり、その女の子は、腰をグラインドしまくった。まるで、これ以上ない、という喜悦の表情を浮かべ、その女の子は、物凄い勢いで、グラインドしまくった。まるで、その女の子は、蛇かなにかのようだった。とうとう、僕は、射精してしまって、女の子は、満足そうな、表情を浮かべ、自分の席に帰って行った。
 たまたま、教頭が、それを目撃し、担任の女教師が、階段で、俺を注意した。『中学生らしくしなさい!」とかなんとか、言うので、「俺は、男だ。」というと、女教師は、ヒステリーを起こし、「男なら、此処で、私を犯しなさい!」と、叫んだ。廻りに人影はいなかったが、当然そんな事ができるわけもなく、「保健室に行こう!」と、俺は、女教師に言った。女教師は、「ベッドインなんて、まだ、早い!此処で犯せ!」というので、呆れた俺は、「その手はのらない。」「少年院なんて、まっぴらごめんだ。」と断った。


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THE BEATIFUL VOICE OF RENEE FLEMING/RENEE FLEMING

THE BEAUTIFUL VOICE OF RENEE FLEMING/RENEE FLEMING


 「夏のなごりのバラ」という、邦題のタイトルの、ルネフレミングのオペラアリア歌曲集である。このアルバムを聴くと、亡き母の事を憶い出す。
最期に、入院した、32歳の時、母は、毎日面会に来てくれた。退院後、私は、クラシックのCDばかり、購入するようになった。母は、自宅の庭を、花畑にしていた。僕が、クラシックを聴きだしたのを、喜びながら、
 「あんたの後生大事にしている、ロック音楽は、みんなたいした事ない。」
と、笑った。
 母が、若い頃、ジャズピアニストだったのが、解ったのは、神戸のジャズライヴハウスで、ピアノとシンセサイザーを弾いた時、
 「ピアノの弾き方まで、そっくりだ。」
と、マスターが、母が、ジャズピアニスト兼モデルだった事を、教えてくれた。
 母の葬式が済んだ後、僕は、市内の、ワンルームマンションに住んでいて、或る夜、母の霊が顕われた。調度、この、ルネフレミングのアリア集の、喜歌劇「メリーウィドウ」より「ヴィリアの歌」をかけていた時だった。
 「此処、ええとこや。ええ人ばっかりや、あんたのおかげや、ありがとう!」
と、言って、天国で、幸せにやってる事を、僕に伝えた。
 そういう、想い出のアルバムなのである。


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WALK ON /BOSTON

WALK ON/BOSTON

 1994年にMCAから発表された、BOSTONの4thアルバムである。エアサプライの2人をVoに招き、GARY PIHLという、ヘヴィメタリックなギタリストが参加した、爽やかな、BOSTONらしい、アメリカンハードロックアルバムである。このアルバムの3曲目の「LIVIN' FOR YOU」は名曲として、名高く、2000年代に入って、発表された「コーポレイト
アメリカ」にも、「LIVIN' FOR YOU」LIVEヴァージョンが収まられている。
 当時、私は、PRISONER NO,.6というバンドのギタリストで、それなりに、モテていたギタリストだったが、治療を受けていた、大阪の精神科の院長の催眠治療を受け。
「君の精神病は、女性体験の不足から起こっている。」と、診断され、病院に行くっと言って、風俗に通う事を、勧められた。金には、当時、困っていなかった。アルバイトもしていたし、父の商売の通信販売係もしていて、給料の代わりに、バンド活動費をだしてもらっていた。
 実際、入ってみた、風俗は、ソフトなファッションヘルスで、女の子は、パンツを履いたままだった。当時の僕は、上半身専門だったので、其処が気に入った。指名もしていないのに、毎回、同じ女の子に当たった。話しをきけば、女子大の学費を払うために、こんなバイトをしている、との事。僕も、立命館大学の夜間部に働きながら、通った経験を話すと、すぐ、仲良しになった。アルバイト代は、みな、その風俗嬢に逢う為に使った。バンドの活動は、順調で、父の商売も、何万円もする、漢方薬が、飛ぶ様に、売れて、潤っていた。ガールフレンドは、ライヴサーキットを重ねるにつれ、増えて行き、皆と、文通した。遠くから、自宅まで、泊まりに来られても、僕だけ、母屋に寝た。そういうのが、嫌いだったのである。
 まだ、難波のソープランドがあった時、3回ぐらい通った。1回目は巧くいかなかった。私は、スキンが苦手なのである。2回目の女は、ピルを、飲んでいるから、大丈夫と、生でしてくれ、と言う。女の両脚が、僕の腰を、撒いて、事が済むまでは、離してくれそうもなかったので、中で出した。あの、女はピルを飲んでいなかったのかもしれない。もし、あの時、子供が、出来て入れば、今、調度20歳だ。飛田新地も一回だけ、行った。まるで女優みたいな、綺麗な女の子だったが、巧くいかなかった。わたしは、 SEXが下手なのだ。それに、女の下半身は、あまり、好きじゃない。
 ガールフレンド達は、誰も、彼女と言える、親密な関係にならなかった。でも、文通は愉しかったし、CDや本やいろんなものをプレゼントし、彼女等も、いろんな物を、プレゼントしてくれたり、貸してくれたり、した。風俗嬢は、自分の財布から、延長料金を、受け付けに払ってくれるようになった。外で逢いたいけど、ママさんがうるさいからと。たしかに、あの当時の僕らが、大阪の街を闊歩していたら、目立ち過ぎただろう。
 30歳を過ぎた時、風俗嬢と店外デートした。長谷寺や、三輪神宮を一緒に廻って、鍋をつついて、別れた。記念写真を撮ってくれた人は、婚約した、カップルみたいに、思っただろう。私たちは、それだけ、仲が良かった。もう一度、デートする空約束を、お互いして、別れた。僕は、外で会えただけで、満足し、風俗は卒業した。
 BOSTONの「LIVIN' FOR YOU」は、そんな風俗嬢との日々、いつもかけていた、曲だ。


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SKYNYRD'S FIRST/LYNYRD SKYNYRD

SKYNYRD'S FIRST /LYNYRD SKYNYRD


 1971年、MCAから、1stアルバムが発表される、2年前に録音された、事実上、RYNYRD SKYNYRDの1stアルバムである。アラバマ州にある、スタジオで録音された、自主制作
アルバムを、1978年、復刻したものである。この後、飛行機事故で、レイナードスキナードのメンバーのほとんどが亡くなってしまう。
 LYNYRD SKYNYRDという、バンド名は、彼等が高校生の時、「お前等、髪を切れっ!」と、うるさくドヤし続けた、体育教師の名前を拝借したようだ。南部をクラヴサーキットしている最中、ちょうど、ブラッドスェット&ティアーズが解散して、スカウトがてらに、南部に遊びに来ていた、アルクーパーに、見いだされ、MCAからのデヴューと、なった。
 このアルバムを聴いている限り、レイナードスキナードは、1971年の段階で、完成された、ハードロックンロールバンドだった。名曲「FREE BIRD」も、ほぼ、この時点で完成されている。
 南部で、男が、髪を伸ばすというのは、当時は、顰蹙もので、彼等は、相当な嫌がらせに逢っただろう。映画、「イージーライダー」の主人公2人は、南部まで、降りて来たとき、
長髪だからという、理由だけで、簡単に銃を打たれ、殺される。そのような、逆境が、彼等を、屈強な、ハードロックンロールバンドに育てたのだろう。
 LYNYRD SKYNYRDは、亡くなった、ヴォーカルのロニーヴァンザンドの、弟、ジョニーヴァンザンドを中心に再結成され、先日も新譜が、発表されたばかりだ。サザンロックは、永遠である。


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MAIDEN'S LAMENT/ENSEMBLE PLANETA

MAIDEN'S LAMENT/ENSEMBLE PLANETA


  アンサンブルプラネタの2ndアルバムである。彼女らのCDは、未だに、何枚か持っているが、この時期の、アンサンブルプラネタが、最も、良かったんじゃないか?と、思う。
特に、夏の納涼には、超お薦めである。
 アンサンブルプラネタは、書上奈朋子女史が、プロデュースし、音楽大学の声楽科出身のメンバーを募集して、集まった、アンサンブルである。1stアルバムには、まだ、学生のような、固さがあったが、この2ndアルバムでは、堂々とした、プロぶりである。歌詞は、英語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語。多岐に渡る。当時のメンバーは4人だが、ソプラノ
からメゾソプラノが、4人交差する、見事なアンサンブルである。4人全員のファルセットも素晴らしい。まさに、楽園のような音楽である。
 最期の、書上奈朋子女史作曲の、「カラーイズスカイ」が、すごい名曲で、4人のファルセットが、反復し、高音ソプラノが交差する、非常に美しい作品に、仕上がっている。
感動ものだ。
 アンサンブルプラネタは、その後も、順調に活動し、最近は、「わらべ歌集」まで、発表している。かつての、乙女も、今は立派なお母さんである。


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MILK&KISSES/COCTEAU TWINS

MILK& KISSES / COCTEAU TWINS

COCTEAU TWINSが4ADを離れて、メジャーからの第2弾「MILK& KISSES」である。COCTEAU TWINSとしては、最期のアルバムになってしまった。ELIZABETH FRAZERと、ROBIN GUTHRIEの夫婦。そして、この当時は、SIMON RAYMONDEもクレジットされている。COCTEAU TWINSは、化学工場のエンジニアだった、ROBIN GUTHRIEが、ELIZABETHと、自主制作オープンリールを作り、それが、そのまま、4ADのデヴュー作となった、まったく、LUCKYなバンドだが、確かに、デヴュー作のクオリティは高く、自主制作リールとは、思えない、出来映えでは或る。その後、COCTEAU TWINSは4ADの看板アーティストに、成長し、アルバムのクオリティも毎作、上がって行き、遂に、4ADを離れ、メジャーからの発売となった。
 非常に、イギリス的なバンドでは、あるが、ダイアナロスやオリビアニュートンジョンといった、1970年代のハリウッド音楽への、憧れが強く、このアルバムでも、随所に、オリビアニュートンジョンばりのELIZABETHの、ファルセットヴォイスの多重録音が聴かれる。非常に、美しい楽曲ばかり、揃った作品ではある。
 美しいハーモニーを、多重録音する、COCTEAU TWINSの、スタジオワークは、その後、たくさんの、追随者を産み、HAPPY VALLEYと呼ばれた、MY BLOODY VALENTINE,LUSH,CURVEなど、プレスが「どいつもこいつも、COCTEAU TWINSみたいな事ばかりやりやがって」などと、呆れる程、フォロワーを生んだ。
 ELIZABETH FRAZERは、その後、ピーターガブリエルの、映画のサウンドトラックアルバムに参加後、ROBIN GUTHRIEと、離婚。英国の富豪と子連れで、再婚したようだ。


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TARKUS/EMERSON,LAKE&PALMER

TARKUS/EMERSON,LAKE& PALMER


 先日、吉松隆氏が、オーケストラル化に成功した、「タルカス」である。EL&Pは、1970年代、ルックスの良さもあって、実力派のアイドル扱いだったと、当時のロックファンは、語る。もちろん、アルバムの中身は、アイドルどころか、ROCK音楽自体に、革命を。もたらかすかのような、物凄い、レヴェルの作品ばかりだ。ジャズ。クラシック、現代音楽、そして、本格的なMOOGシンセサイザーの、起用。どれを、取っても、EL&Pは、革新的なバンドだった。
 ベース&ヴォーカルのグレッグレイクは、キングクリムゾンの1stに参加後、アメリカンツアーの成功を体験し、USAという、広大な市場に、魅了された、男だ。ジミヘンドリックスと、真剣に、組もうと、思っていた、矢先。ジミヘンドリックスは、亡くなってしまった。彼は、もう一人、組みたい、アーティストがいた。NICEのキースエマーソンである。
カールパーマーは、アトミックルースターという、ハードロックバンドで、ドラムを叩いていたが、音楽大学で、本格的にパーカッションを勉強していたのを、買われ。加入。超美青年3人組の誕生である。
 EL&Pの1stの録音中に、キースエマーソンは、MOOGを購入。グレッグレイクの「LUCKY MAN」で、MOOGの演奏が聴ける。最初は、廉価盤ででた、「展覧会の絵」では、これでもか、というような、クレイジーな、MOOGシンセサイザープレイが堪能できる。そして、この「タルカス」である。物凄く構成がしっかりとしていて、A面全部が組曲になっている。7部構成で、狂ったような。MOOGシンセサイザーーが唸りまくる、作品である。
 EMERSON, LAKE& PALMERは、その後、順調に作品を発表し、世界中で、好興行成績を残し続けた。しかし「WORKS四部作」が、メンバー一人一人が、片面づつ、EL&Pの演奏は、4面だけ、という、内容が、失敗を招いたようだ。メンバーのソロとしては、キースエマーソンの、ピアノ協奏曲や、グレッグレイクのセラヴィ、カールパーマーの、アメリカンロックテイストなど、ヴァラエティに富んだ、良い内容なのだが、やはり、EL&Pの演奏が、1面だけというのは、残念な事である。また、プロモーションツアーは、オーケストラを、北米中、引き連れて、廻る、という、大掛かりなもので、大きな赤字も出している。カールパーマーによれば、ツアーの後半は3人だけで、廻って、結構、お金は、残ったらしいが、やはり、失敗は失敗である。
 レコード会社の締め付けが、きつくなり、メンバーが不本意なまま、リリースされた「ラヴビーチ」の失敗後、EL&Pは解散。しかし、彼等のLPやCDを、後追いで、購入する、若いファンは後を絶たない。コージーパウエルをドラマーに、エマーソンレイク&パウエルとしての活動も、好興行成績を残した。そして、一時、EMERSON, LAKE & PALMERも復活し、好評を得ていた時期もあった。彼等の興行成績は、総観客動員数が、世界一と言われている。物凄い、成績である。今回の吉松隆氏の、「タルカス」のオーケストラル化成功で、永い間の、ROCKとCLASSIC界の確執にも、終わりを遂げてほしいと、願う。



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CAPTURED/JOURNEY

CAPTURED/JOURNEY

スティーヴペリー加入後、「ANY WAY YOU WANT IT 」の大ヒットで、一躍、トップグループとなった、JOURNEYの、ライヴ盤である。これは、初代キーボーディスト、グレッグ
ローリーのお別れ、記念盤でもある。
 JOURNEYは、サンタナのメンバーだった、ニールショーンと、グレッグローリーによって、作られた、もともと、プログレバンドだった。ニールショーンが、サンタナに加入した時の、年齢は、弱冠、16歳。この、LIVEアルバムで、オリジナルメンバー、グレッグローリーが去り、代わりに、ジョナサンケインがキーボード、シンセサイザーを担当し、怒濤の、ビッグセールスナンバーを立て続けに、出した。
 JOURNEYは、ビジネス的にも、はっきりした、経営方針を、マネージメントが出し、絶対、損をしない、ライヴツアーを成功させるために、PAシステムの会社を、自分達のマネージメントで、作り、PAのレンタル料で、損をしない、工夫をした。おかげで、LPの売り上げとの相乗効果で、メンバーは、皆、資産家になった。これを、産業ROCKとして、馬鹿にする、評論家は、ミュージシャンの人権を、無視しているのでは、ないか?と、思う。ミュージシャンだって、一人前の人間なのだから、ビジネス的にも、成功する権利がある。
 マネージメントの会計が、しっかりしていて、アメリカンツアーをやる毎、ぼろ儲けした、LED ZEPPELINは、別として、YESや、EL&Pのアメリカンツアーの実態は、悲惨そのものだった。ライヴ会場は、何処も、超満員なのに、莫大な機材の運搬費に、スタッフの雇人費、PAのレンタル費用などで、ツアー自体は、大赤字だったのだ。それを。LPの印税で、赤字を補っていた。
 「それこそ、ROCKだ。」
とか、いう、評論家は、ヤクザ評論家じゃないか?と、思う。ツアーの赤字と、ツアーのプロモーションで売れる、LPの印税を、両天秤にかけて、賭博を打っているのと、同じじゃないか?ロックミュージシャンは、ヤクザではない。ちゃんとした、一人前の人間である。そんな事を言う、評論家は、すごく無責任だと思う。


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MUSIC ON THE FLOOR/MICHAEL TORKE

MUSIC ON THE FLOOR/MICHAEL TORKE

FOUR PROVERBS ,(CATHERINE BOTT,ARGO BAND) MONDAY,MUSIC ON THE FLOOR ,TUESDAY(LONDON SINFONIETTA)


 マイケルトーキーが、ポピュラー寄りの、現代曲を作曲するようになった、きっかけは、ヘヴィメタルバンドの作曲を依頼された事から始まる。彼なりに、愉しい仕事だったそうだが。結果的に、プロのヘヴィメタルバンドと競い合う事になった。この事があってから、彼は、ポピュラー音楽の自由自在な作風を、クラシックに取り入れる、実験を始めた。
 特に、ヴォーカルをまるで、ポピュラーソングみたいに扱い、器楽は、現代曲、という、アイディアを活かしたのが、「FOUR PROVERBS」である。CATHERINE BOTTによる、ヴォーカルと器楽のアンサンブルは、ポピュラー音楽とも、現代音楽とも呼べない、不思議なジャンルを作っている。
 LONDON SINFONIETTA による、「MONDAY」「MUSIC ON THE FLOOR」「TUESDAY」も、ポピュラー音楽の要素をふんだんに取り入れた、楽曲で、マイケルトーキーは。新しい、ジャンルを作るのに、成功したようだ。


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HILARY HAHN PLAYS BACH/HILARY HAHN

HILARY HAHN PLAYS BACH/HILARY HAHN

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番(シャコンヌを含む)、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番。

 HILARY HAHNのデヴュー作である。当時、彼女は、まだ、音楽学生だった。抜きん出た、才能と実力を、買われ、教授から、「シャコンヌ」を、コンサートで、弾いてみないかね?と、勧められて、公演したのが、きっけかけで、たちまち評判を得、SONYがスカウトし、発表された。このアルバムは、若きクラシック界のスター誕生として、たちまち、世界中で、ベストセラーになり、年老いたクラシック評論家たちは、まるで、自分の孫を自慢するように、HILARY HAHNを、評価した。
 彼女の「シャコンヌ」は、まだ少女らしい、繊細さと、若い力強さ、そして、BACHの演奏では、ありえないような、艶色があり、聴くものを釘付けにする。他の演奏もそうだ。
1970年代、プログレッシヴロックが表現しようとして、出来得なかった、全てが、彼女の演奏にある。或る意味。ROCKが死んだ、今となっては、ヒラリーハーンのBACHを聴け、
としか、言えない。
 彼女は、その後、クラシックのレーベルに移籍し、順調に、公演活動を世界中でおこない、アルバムはピュリッツァー賞まで獲得した。もはや堂々とした、活動ぶりである。


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DIFFERENT TRAINS,ELECTRIC COUNTERPOINT/STEVE REICH

DIFFERENT TRAINS/KRONOS QUARTET , ELECTRIC COUNTERPOINT/PAT METHENY STEVE REICH


 ミニマルの巨匠、STEVE REICHの2つの、実験的な作品集である。まず、KRONOS QURTETによる、サンプラーのVOICEと、弦楽四重奏、効果音等からなる、「DIFFERENT TRAINS」第2次世界大戦時の、アメリカの緊張した、社会を、反戦的な、姿勢から、描いている、作品で、KRONOS QURTETは、戦時の緊張感を、うまく弦楽四重奏で、表現している。1930年代から1940年代へと、次第に、緊張していくアメリカ社会の様が、列車を隠喩に、表現されていく。「WAR IS OVER」と、サンプラーで告げられた頃から、演奏は、緊張感から、美しい表現に変わり、非常に、綺麗な音楽世界を最期に繰り広げて、終わる。
 2曲目のPAT METHENYの多重録音による、「ELECTRIC COUNTERPOINT」は、エレクトリックギターの単音弾きを多重録音して、和音を作っている。様々に交差する、エレクトリックギターの旋律が、延々続く、ユニークな曲だ。PAT METHENYは、大変だっただろう。
 STEVE REICHは、ビキニ諸島での、水爆実験のドキュメントDVDもその後、制作している。財団の支援のもと、「THE CAVE」など、反戦的な音楽表現を、繰り広げる。


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DESERT OF ROSES/ROBERT MORAN

DESERT OF ROSES/ROBERT MORAN

 アメリカの現代作曲家、ROBERT MORANの作品集である。現在、彼は、ポストミニマリズムの、代表的な、アメリカ現代音楽作曲家と、云われている。彼の音楽の特徴は、ポピュラー音楽の要素を、堂々と、普通に、現代音楽に使う処にある。例えば、従来の英語による、オペラアリア曲は、イタリア、フランス、ドイツ歌曲のメロディーに、そのまま。英語を乗っける、という、非常に、不自然なものだったが、ROBERT MORANは、非常に、現代社会を象徴するような、英詩を用意し、アメリカン英語が、うまく、マッチするような、メロディーを作曲している。非常に、ポピュラー音楽を意識した、作風だが、クラシック音楽として、充分通用する、格調の高さだ。
 例えば、「DESERT OF ROSES」のアリア「I can go? I can go to my father?」の歌詞じたいは、おそらく、離婚したカップルの娘が、お父さんのところへ行っていいの?と、涙ものの、歌詞なのだが、このような、現代アメリカ社会を象徴するような、文学度の高い、歌詞を用意し、美しいクラシックのオペラアリアに仕上げている。また、「DESERT OF ROSES Movement 5」では、PIANO CIRCUSによる、DX-7の演奏が、弦楽やホルン、オーボエ、ソプラノに混じって、普通に入る。このように、ROBERT MORANは、クラシックの楽曲に、普通にシンセサイザーを導入し、成功している。PIANO CIRCUSやROBERT MORANの成功は、クラシックの演奏会に、普通にシンセサイザーも使う、風潮を創り出し、今では、ちょっとした、地方のオーケストラの公演で、オーケストラの端っこに、DX-7の奏者がいるのも、あまり、珍しい光景ではなくなって来ている。
 「TEN MILES HIGH OVER ALBANIA」では、ハープの4重奏が試みられ、成功している。しかも、ハープ奏者を4人並べるのではなく、一人のハープ奏者の、多重録音による、4重奏である。ROBERT MORANは、このような、ポピュラー音楽の録音技術を、クラシックの楽曲で普通に使い、成功させている。また「OPEN VEINS」では、PIANO CIRCUSのメンバーが、ドラムスセットとエレクトリックベースを、弦楽、オーボエ、ホルンと一緒に演奏し、成功している。
 このように、ROBERT MORANは、ポピュラー音楽の手法を取り入れながら、なおかつ、クラシック音楽の格調を失わない、非常に、貴重な作曲家なのである。ポストミニマルは、或る意味、古典回帰のような、様相も見せているが、技法や、手法には、積極的にポピュラー音楽の要素を取り入れ、クラッシック音楽自体を、身近なものにするのに、成功しているようだ。

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LOVELESS/MY BLOODY VALENTINE

LOVELESS/MY BLOODY VALENTINE

 1990年代。MY BLOODY VALENTINEの「LOVELESS」で、ROCK音楽の進化は止まった。大仰なはったりではない。本当に、このアルバムで、ROCK音楽の進化は止まったのだ。
ヴォーカルハーモニー自体は、コクトーツインズの影響を受けている、と当時から、プレスは指摘していた。しかし、問題は、そんなもんじゃないのだ。全てのROCK音楽が、1960年代から進化し続けて来た、果てに、このアルバムは作られた。全てのROCK音楽の究極の姿、音が、このアルバムに詰まっている。そして、ROCKは死んだ。化石となった。
 まだ、バブル経済が続いていた、当時、SONYは、このレコーディング予算に、2000万円つぎ込んだ。そして、きっちり、2000万円使い切って、発表されたのが、このアルバムである。今後、たかが、ROCKのアルバムに、こんな多額な予算を出す、会社も顕われないだろう。そういう意味でも、最期のROCKアルバムなのだ。
 轟音ギターに美しいハーモニー、屈強の、リズムトラック。どれを、取っても、文句のつけようがない、大傑作である。MY BLOODY VALENTINEは、沈黙を破って、再活動している。ベスト盤と、このLOVELESS,そして、1stのISN'T ANYTHINGは、今年、オリコンアルバムチャートの16位、18位、19位をかっさらった。来年に予定されている、来日公演のチケットは、既に、SOLD OUT。
 生きた伝説が動けば、当然、そうなるのだ。


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LC/THE DURUTTI COLUMN

LC/THE DURUTTI COLUMN

 もう夏である。夏は、DURUTTIのLC。これに決まり。夏の、スコットランドの北の海岸の風景を連想させる、爽やかな、涼しげな音楽集。これを、夏に聴くと、必ず涼む。
ST.ANDREW's BOY's HIGH SCHOOLのSF研究会の我々は、1983年、和歌山の海岸にある、国民宿舎に、合宿し、読書会や、原稿の執筆をしていた。昼は、皆、浜辺で遊び、
映画の撮影もしていた。僕は、原稿の締め切りが、遅れていたので、宿舎の喫茶店で、一人、原稿を書いていた。同時期に、或る、女子校のテニス部の女の子らが。合宿していて、
 「あれ、何?長渕剛ぃ〜?あんなに男の子、髪の毛伸ばせる高校あんの?」
とか、好奇の目で観られていたので、気が散るので、ウォークマンで、DURUTTI COLUMNのLCのカセットテープばかり、かけて、原稿を書いていた。
海は蒼く、海岸の波は白かった。陽射しは、本当に、綺麗だった。そんななかで、聴くLCは、格別、素敵な音楽だった。
 京都のLIVEHOUSEでのFOOLS MATEのイヴェントで、B面一曲目の「NEVER KNOWN」のヴィデオクリップを観た。森の中で、レスポールを弾く、VINI REILYの、マニキュアを塗った、指弾きが、印象的だった。まるで、フェイザーとともに、森の中で、揺れる、VINIの姿は、木霊か、妖精か、精霊のように、見えた。
 合宿から、帰る、バスに乗る時、テニス部の女子高校生らが、僕にむかって、カメラのシャッターを、何枚も撮った。何らかの、女の子の雑誌の投稿写真にでも、なっていたのかもしれない。

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TALES OF1001 NIGHTS VOLUME2/RENNAISSANCE

TALES OF 1001 NIGHTS VOLUME 2 /RENAISSANCE

 1970年代の、英国、クラシックロックを代表するバンドRENAISSANCEである。オーケストラとの共演が当たり前のような、活動歴。これは、メンバー全員が、本当のプロフッショナルでないと、できない。1977年の「NOVELLA」が世界的に大ブレイク。専属の、プロの作家の、ゴーストライターまで。作詞家にいた。PUNKムーヴメント絶頂期のイギリスで、まるで、喧嘩を売る様に、発表した、「A SOMG FOR ALL SEASONS」は、英国で大ヒット。PUNK,PUNKと騒がれていた、当時のプレスだったが、実際は、ENIDのような、ヒッピープログレバンドが、ハマースミスオデオンのような、大ホールを、まるで、本拠地のように、埋め、LIVE ALBUMを2枚残す、など。MIKE OLDFIELDやKATE BUSHも当然、人気があって、売れていたし、PUNK絶頂期のレディングフェスティヴァルには、MIKE OLDFIELD や、STEVE HACKETTまで、出演している。イギリスは、プレスはどうであれ、大きな変化は好まない国だ。
「PUNKは、売れまっさかい、これやりなはれ!」
なんていうような、下品な国ではないのだ

 PUNK ROCK自体は、演奏する側には、有り難いムーヴメントだった。昨日客席に居た人が、今日は、ステージに立っている。客席とステージに壁がなかった。しかし、一度ステージに立ったら、まともな音楽を演奏する義務がある、と思う。

 CDやLPでしか、まとまな音楽が聴けない、時代が続いた。シーンもプレスもどうでもよい。自分等の都合の良いように、手前勝手に、新しいスターを産み、潰して消費しているだけだ、

 ほんまものは、みんな、大事に、LPもCDも、二束三文で、売らず、持っている。そして、愛聴している。それでいいのだ。


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UN PO DEL NOSTRO MIGLIORE/I POOH

UN PO DEL NOSTRO TEMPO MIGLIORE/I POOH


 前作「PARSIFAL」が、NEW TROLLSの「CONCERT GROSSO」OSANNAの「MIRANO CARIBRO 9」と、並ぶ、イタリアンロックの、オーケストラ共演盤の傑作と、称された、I POOHだが、「PARSIFAL」では、当時の録音技術の限界を巧く、活かして、右チャンネルでオーケストラが、左チャンネルで、ロックバンドの演奏が、という、実験を、タイトルナンバー「PARSIFAL」で、成功させたりしている。もちろん、他の曲では、普通に、オーケストラとバンドの音は、ステレオで鳴っている。
邦題が「ロマン組曲」と題された、今作では、録音機材の向上で、綺麗に、オーケストラとバンドの音が、融合している。
 さて、私事ではあるが、もう、四捨五入すれば、50歳という年齢になって、それなりの、女性遍歴も体験もしてきたわけだが、当然、モテ期とモテナ期があった。ガールフレンドが、出来て、彼女にしたい、と、本気に思った時、取った行動が2つある。一つは、R.D.レイン博士のカップルのための心理学的治療法、「LOVE LOVE LOVE YOU VERY MUCH.好き、好き、大好き」である。最初は、男でも、女でも、どちらでも良い。例えば、男から、女に向かって「好き」と言い、今度は、女が男に向かって「好き」と言う。そうすると、最期に、もう一度男の側から「大好き」と言わせる。今度は、女の方から「好き」と言い、男も「好き」と言い、最期に女が「大好き」と言う。これを、カップルで延々繰り返す。最期はHAPPY ENDである、もちろん、こんな心理学治療を、素人がやるのは、危険な事でも、あるので、私は、2人の女に1回づつしか、試してない。もちろん、2回とも、巧くいき、HAPPY ENDだった。あと、もう一つは、I POOHのような、超ロマンティックな音楽を、CDやLPごと、プレゼントする。というもので、MD や、CDRにダヴィングする、というセコい真似ではなく、真心をこめて、最初のデートでプレゼントした。これも、巧く行った。
 戦略や、攻略などは、考えては、いけない。そんな事は、女の方が、例え、10歳年下でも、上手である。彼女にしようと思ったら、全面降伏以外ありえない。子供のように、純真な気持ちで接した方が、好感を持たれる。例え馬鹿と思われようが、メンツは捨てないと、いけない。彼女になったら、クリスマスや、誕生日には、ネックレスの一つぐらいは、プレゼントしなくては、いけない。本当に、悪い事を、する時は、安ラヴホテルでは、駄目。無理しても、リッツカールトンのような、高級ホテルに泊まるべきだ。ゴージャスな思いをして、怒る、女はいない。決して、タダで、とか、安く、とか考えてはいけない。女は高くつく。


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A SHOW OF HANDS/RUSH

A SHOW OF HANDS/RUSH

 RUSHの3枚目のライヴアルバムである。RUSHのライヴアルバムは、その時、その時のベスト盤のような、内容であるので、これは、1980年代のRUSHの活動の集大成とも呼べる。
 RUSHは、1970年代、LED ZEPPELINやDEEP PURPLEの第2世代グループと、呼ばれた、世界中のハードロックバンドの一つに過ぎなかった。SCORPIONS,UFO,JUDAS PRIEST,THIN LIZZYといった、バンド達と、世界中のライヴ会場を湧かすツアーを、一緒にやっていたバンドの一つに過ぎなかったのである。
 RUSHの成功は、1979年発表「PERMANENT WAVES」から始まる。全英2位を記録したこのアルバムに続き、次作「MOVING PICTURES」は、アメリカで、大ヒット。RUSHは一躍トップバンドになった。その後のRUSHは、熱狂的なファンに支えられ、常に、ライヴは完璧、ライヴツアーは,全公演SOLD OUTという、異常な、興行成績を残し続けた。1980年代のRUSHは、次第に、シンセサイザーの機材が増えて行き、歌詞も、世界を挑発するかの如く、過激なメッセージ色の濃いものと、なっていく。このような、RUSHが、アメリカのショービジネス界で生き残れたのは、抜群の興行成績と、演奏能力。それに、RUSH全員の本国が、カナダだったのが、理由の一つとして、挙げられるだろう。同じカナダ人のニールヤングが、いくら、アメリカ合衆国を批判する、歌詞を、レコードで出しても、お咎めなしだったのも、彼が、カナダ国籍だったから、と言われている。
 RUSHの歌詞は、風刺や隠喩で、ショービジネス界自体も批判する。それでも彼等は、特別な存在であり続けた。熱狂的な熱いファンの支持の結果だろう。

 今でもRUSHは、活動を続けている。最近RUSHは、あまり、シンセサイザー類を使わない、シンプルな、ハードロックに戻っているが、その分、ギターの多重録音が分厚い。
相変わらず、メッセージは、過激だ。おかしい事は、おかしい、とはっきりもの申すバンドではある。


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REMASTERS/LED ZEPPELIN

REMASTERS /LED ZEPPELIN

 LED ZEPPELINのベスト盤である。1968年、ファーストアルバムがBEATLESのアビーロードを、抜いて1位になった時から。調度10年間。1978年に解散するまで、ブリテッシュロックの王者であり続けた。
JIMMY PAGEは、13歳から、スタジオミュージシャンを、やっていて、その頃から、JOHN PAUL JONESとは、知り合いで、仲が良かった。実は、LED ZEPPELINのメンバーは、偶然、4人とも、縁戚同士にあたる。まるで、引き寄せられるように、集まった、4人だが、その事は後で、解ったようだ。
ROBERT PLANTは、公認会計士の息子で。15歳で、既に、公認会計士のお父様の仕事を手伝っていた、立派な会計士だった。彼は、アメリカから。リズム&ブルースの黒人ミュージシャンが、イギリスにツアーしてくるのを、愉しみにしていて、憧れのヴォーカリストは、皆、アメリカの、黒人リズム&ブルースのヴォーカリストだった。会計士としての、仕事を順調にこなしていた或る日、彼は、突然、一生、人の金を計算しなければ、いけないのか?と、思った。どうせなら、自分で。これだけの大金を稼いで、自分で、自分の資産を会計したい、と、思い出し、遂に、家から、飛び出して、しまった。彼の様な、男前に、すぐ、彼女やワイフができるのは、当然で、彼は、昼間。工場で働き、夜、クラヴやライヴハウスで歌っていた。「例えば、嫁さんに、全自動洗濯機を買ってやる、とか、は全部したよ。」と、後年、プラント氏は語る。男である。「Working from 7 to 11」とは、朝の7時から、夜の11時まで働いた、という事なのである。男は、若い時、これぐらいの労働をしないと、成功できない。男の中の男である。
JIMMY PAGEは、ヤードバースの3人目のギタリストとして、加入した。エリッククラプトン、ジェフベックの次である。ヤードバーズ時代にも。ヴァイオリンの弓で演奏する。ショーを演じている。キースレルフが、後に、ルネッサンスに発展して行く、クラシックロックを指向している最中、感電事故で亡くなり、ヤードバーズの再結成はなくなった。
当時のPAGE氏は、スティーヴマリオットと、一緒にやりたかったそうだが、マリオットの側近から、「今度マリオットに近づいたら、腕をへし折ってやるぞ。」と、脅迫され、諦めた。ROBERT PLANT は、あまりにも、超然とし過ぎて、当時のクラヴシーンでは、浮いた存在だったようだ。PAGE氏は、「ROBERTはあまりにも偉大過ぎて、誰も近づかなかったのさ。」と、語っている。PLANT氏の紹介で、JOHN BONHAMをスカウトする。当時のBONHAM氏は、ジャズのビッグバンドで、楽譜通りに叩く、ドラマーだったが、あまりにもパワフルだった。
 4人が集まって、リハーサルが始まると、PLANT氏以外の3人が、勝手にセッションしだし、PLANT氏が流行のリズム&ブルースの歌詞を憶えるまでは、そんな感じだった。
NEW YARDBIRDSと名打って、アメリカンツアーを行い、自主制作のLPを、業界関係者に配った。そして、ATLANTICとの契約を果たし、デヴュー。その後の活躍は、皆が知る所である。
 JIMMY PAGE氏のギター奏法は、あまり、お手本としては、よくない、と言われている。楽譜の譜面をはみ出してしまう、変則的な、拍子が所々に入る。BONHAM氏の死=ZEPPELNの解散は、致し方ないところだったろう。独特のギターとドラムの阿吽の呼吸が、LED ZEPPELINをLED ZEPPELINならしめていた。PAGE氏は、あのままZEPPELINが続けば、
ギターシンセサイザーとシンセサイザーの掛け合いが主になる演奏になっていただろうね。と語る。稀代のプログレバンドに成長しかかっていた時期の解散だったのだ。
 もうLED ZEPPELINのようなバンドは顕われない。BEATLESと同様に、音楽史に残すべきバンドだと思う。


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CASA VECCHIA/PAUL DRESHER

1990年代に発表された、アメリカのポストミニマリズムの若手現代作曲家PAUL DRESHERのアルバムである。「UNDERGROUND」「OTHER FIRE」というコンクリートミュージックが1.2曲目。当時のドレッシャーは、普通に、ロックのライヴ会場で、ロックバンドに混じって、オープンリールデッキをバックに鳴らし、DX-7の演奏をしていたようだ。3曲目が、そんな、ドレッシャーのロック的な作品で「MIRRORS」という、エレクトリックギターのハーモニクスからなる曲で、かなり、高度なテクニックが要求される、曲だ。ギターは、ROBERT BLACK.後半、パーシージョーンズ風のフェイズベースも演奏される。これも、弾いているのは、ROBERT BLACK.
タイトルナンバー「CASA VECCIA」は、9人の弦楽奏曲で、指揮は、YUKI MORIMOTO.KRONOS QUARTETが、参加している、22分に及ぶ、3部形式の曲で。
前半は、STEVE REICHの「MUSIC FOR LARGE EMSAMBLE」や「OCTET」の影響が観られるが、中間部、ドビュッシーや、ラヴェルのような古典的弦楽に移行する、
そして、後半部、片方の弦楽は、ミニマルを、片方の弦楽は、古典的弦楽という、かなりな、実験をやり、成功させている。指揮はたいへんだっただろう。
PAUL DRESHERも、もう若手とは言えない、年齢になっているだろうが、アメリカでは、着実にキャリアを踏んでいるようだ。
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BASIA ON BROADWAY/BASIA

東欧出身のジャズヴォーカリスト、BASIAの、BROADWAY LIVE盤である。BASIAの家庭は、旧社会主義国では、珍しくステレオが置いてあり、キャロルキングなどの、アメリカンポップスが、普通にLP棚にあったらしく、彼女も、そのような、アメリカンポップスを聴いて育った。まだ、東欧が社会主義圏だった10代後半で、アメリカに音楽留学。アメリカンポップスを学んだ。非常に貧乏な、音楽学生だったようで、いつか、将来、自分がステージに立つのを、夢見る、少女だったらしい。
CRUISING FOR BRUISINGが、日本でも、CMに使われるなど、世界的に大ヒット。
日本企業のスポンサードなどもあり、実現した、BROAWAY LIVEだが、彼女は、夢を実現させたわけだ。

CRUISING FOR BRUISINGとTHIRD TIME LUCKYの歌詞で、BASIAは、或る、ビッグタイトルを持ってる男が、2度目、3度目に挑戦するのを、励ましている。
「Second Chance サディストはstrongだわ。でも私たちの愛は永遠よ。」「3回目はLUCKYだわ、あなた、もう一度tryしてみるべきよ。」とか。BASIAのような美女から励まされるその男は、幸福だったろうが、それなりの地獄も味わっているようだ。
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COMBO PLATTER/MARIMOLIN

ニューヨークでなら、何処にでも居そうな、お姉様二人組なのだが、実は、VIOLIN:SHARAN LEVENTHAL,MARIMBA:NANCY ZELTSMANからなる、ヴァイオリンとマリンバの、現代音楽デュオグループなのである。収録作曲家はDAVID . JONES,DAVE SAMUELS.PAUL LANSKY,JOSEPH SHABALATA,JOHN COLTLANE,ROBERT ALDRIDGE,CHUCK MANGIONE,STEVEN MACKEY。と、現代音楽、アフリカ音楽、ジャズ、ポップス、と多岐に渡るが、彼女等なりのアレンジが施されてある。コンピューターシーケンスとの同時演奏や、アフリカンヴォーカルとの共演。サックスとの共演。エレキギターとの共演と、実に多彩だ。
昔、このCDをよく、寝る前にかけていた、かけている間に、自然に寝てた。何処か、優しさのある、現代音楽である。
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TABLEAU NO.1 etc/JEAN PIERRE ALARCEN

ジャンピエールアラーセンの、トータルアルバムTABLEAU No1全曲と、6曲のボーナストラックからなる、CDである。
如何にも大仰な始まり方から展開していく、ロマンティックアラーセンワールド。
曲の構成は、クラシックレヴェル。ギターシンセサイザー協奏曲とでも、呼べる作品である。音の強弱がはっきりしていて、シンフォニーのような、構成でもある。

6曲のボーナストラックも、2曲が弦楽四重奏曲、他の曲も、アラーセン節炸裂という感じ。

子供の頃から、輸入盤屋さんの、広告を賑やかしていた、憧れのLPだったが、CD化されて。即購入した、1枚。
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MAIS ON NE PEUT PAS REVER TOUT LE TEMPS/LAURENT THIBAULT

MAGMAのベーシストだった、LAURENT THIBAULTのソロアルバムである。
南仏の架空の楽園のような、前半部から、後半、いっきに狂気の世界に入って行く、恐ろしい、音物語である。
多くのゲストミュージシャンより、構成されおり、非常にクオリティが高い。できれば、2枚組でゆっくり堪能したい、音楽である。

MAGMAのメンバーはZAOなど、活発にソロ活動をやっていた模様で、どれも、クオリティが高い。

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DALI:THE ENDLESS ENIGMA

DALI:THE ENDLESS ENIGMAというタイトルの、ダリのシュールリアリズム絵画を音楽化しようという、オムニバス盤で、収録アーティストは、MICHAEL STEARNS,MICHEL HOLLAND,DJAM KARET,LOREN NERELL,KLAUS SCHULZE,BO TOMLYN,STEAVE ROACH&ROBERT RICHという電子音楽家のメンツ。
普通にかけていると、そのまま眠り込んでしまいたくなる、音楽ばかりだが、どの曲も、シュールだ。
ダリの画集は、高校生の頃、よく、図書館で借りた。僕は、画才がないので、こんな絵は描けないだろう、と、諦めていたが、音楽でダリの世界を、表現できないか?と、本気で考えていた。
考えつく事は、誰も一緒で、このようなアルバムが作られたのも、当然のように思える。

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l'hepitade/HARMONIUM

カナダのフランス語圏のバンド、HARMONIUMの2枚組1stアルバムである。
内容は、シャンソンと、プログレの中間のような、フォークロックで、歌詞の内容は、
別れた、若いカップルの追憶とでも、言えそうな内容である。しかし、カナダの乾燥した空気のように、音も歌も乾いていて、決して、演歌や日本のフォークのような、ジメジメした感じは、全然ない。

オーケストラをバックにした、バンド編成で、シンセサイザーやピアノのパートも充分、時間を取り、長い数曲を組曲形式で、演奏され、歌われる。女性ヴォーカルと、男性ヴォーカルの掛け合いなど、本当に見事だ。

どうせ、プログレバンドが、歌うのなら、ここまでやってほしい。

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PASSAGE/CARPENTERS

今でも、世界中の人々から愛されている、カーペンターズだが、こんな、実験的な作品も、残している。
オペラ「EVITA」より、抜粋し、オペラに挑戦。カナダのプログレバンドKLAATUの名曲「CALLING OCCUPANTS OF INTERPLANET CRAFT」を堂々カヴァー、大ヒットさせている。

このアルバムだけではなく、カーペンターズは、決して、保守的なグループではなかった。早い時期からの、ギターシンセサイザーの導入、ヴォーカルハーモニーの超多重録音など、凄く、実験的な事ばかりやって、成功し、大セールスを上げている。

その意味では、カーペンターズは、本当のアメリカンドリームを獲得した人達なんだなあ、と思う。

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UTOPIA/TODD RUNDGREN'S UTOPIA

トッドラングレンは、シングルヒットを連発し、プロデュースすれば、アーティストは大ヒット。アルバムは、非常に濃い実験的な事ばかりやるのに、好セールス、という、非常に、才能に恵まれた人なのだが、遂に。プログレバンドまで作ってしまった。
それが、TODD RUNDGREN'S UTOPIAなのである。裏ジャケの写真を観れば、凄いバンドセットである。大型のシンセサイザーを並べている、シンセ奏者に、キーボードが他に2人。トッドラングレンはギターシンセサイザーを担当。
まず、1曲目のUTOPIAが、圧巻。これでもか、これでもか、と畳み掛ける様な、展開の嵐に、シーケンサーが唸る。全編、イギリスのプログレッシヴロックがアメリカに渡れば、こんな、ディズニーランドみたいな、プログレになるのかぁ~と、聴いていて愉しい、場面展開の数々である
UTOPIAはその後も、順調に作品を発表し、それなりのセールスも残した。

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VOYAGE OF THE ACOLYTE/STEVE HACKETT

2代目GENESISのギタリスト、STEVE HACKETTのソロアルバムである。
当時のGENESISのメンバーの全面協力のもと、作られている。
これは、STEVE HACKETTのソロアルバムという形を取った、GENESISのメンバーが、レコードセールスを気にせず、やりたい放題、やっているアルバムと、取った方が良い。
STEVE HACKETTは、後から、メンバーになった、という事もあって、キーボード主体のGENESISというバンドでは、常に。脇役に徹し、キーボードソロに、ライトハンドやタッピングでユニゾン演奏する、という、離れ技を、非常に早い時期にやっていた
人である。サリーオールドフィールドがVOをとる、ラストナンバーでも、当時珍しかった、ライトハンド奏法のロングプレイが聴かれる。
GENESISのLIVE アルバム、「SECOND OUT」編集中、ハケットのギターが活躍する
「IT」が外される、事になり、ハケットは脱退。レコード会社を移籍し、2ndソロアルバムが、ヨーロッパで大ヒット。以後、順調に、ソロアルバムを発表し、ヨーロッパでは、根強い人気がある。
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