Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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貨幣ーその民主主義的な在り方

貨幣ーその民主主義的な在り方

             Johann Sebastiam Matthew Zdbac
弓武声慧

 カールマルクスの「資本論」は、全3巻ある。第2巻において、資本が拡大再生産される様が描かれてある。それは、決して否定的な側面のみを描いているのではない。貨幣と民主主義は切っても切れない関係である。封建社会では、この商品は、お貴族様にしか、渡せない。という商品はあった。貨幣は、平等である。金さえ出せば、平民でも、アジア人でもルイ ヴィトンは買える。(それが、いくらヨーロッパ上流階級婦人のためだけのものでも)。平等な貨幣が拡大再生産されて行く様は、平等な民主主義が、拡大再生産されて行く、過程でもある。その貨幣が世界を席巻する拡大再生産は、世界から、封建主義を徐々になくして行く。「資本論」第2巻には、こういう肯定的な側面があるのである。
 「資本論」が第3巻において、拡大再生産が、やがて利潤率傾向低下法則を起こして行くさまは、まさに、資本主義社会が爛熟しきった末に現れるのであり、そのような先進国社会は自然に社会主義化していくのである。
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続 真夏の昼の夢

続 真夏の昼の夢

                               弓武声慧
 ヨハンが、自殺未遂した夜、WestRiver家では、凱歌と共に、ヨハンの著作権料を何億も横領した、大木と一緒に晩餐会を拡げ、歓喜のもとに乾杯した。大木とWestRiverは、ヨハンを廃人にさせた功績を競い合い、横領額のパーセンテージを、大きな喜びの凱歌とともに、大声で笑い合い、決めて行った。
 その後、何十年か経って、大木とWestRiverは、途方もない不良債権を、抱え、自己破産した。ヨハンは、未だにリハビリを続けている。
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愛を下さいという女乞食

愛を下さいという女乞食
                               john ubel

 私を愛して下さい、と女は言う。しかしそれは、私に多額のお金を下さい、という女乞食に過ぎない。
多額のお金をやっても、女乞食が愛など返すはずがない。乞食は乞食。愛などという言葉を使ってより高額の乞食をする、あくどい女乞食。
 乞食女の教育は、より多額の乞食ができるかという、乞食調教に過ぎない。愛という言葉ほど、巧妙な女乞食の常套手段はない。本質は如何に多額の乞食に成功するかどうかに過ぎない。
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エルンストブロッホ『Not Yet』について

エルンスト ブロッホ 『Not Yet』について

        Johann Sebastian Matthew Zdbac Ubel
弓武声慧

 近年、アメリカにおいて、エルンストブロッホの評価が、定着したようである。故マルクス主義哲学者の巨匠の、著作に関する、コラムが、普通の新聞等の、一般コラムに掲載されているのは、アメリカも変わったなぁ~。という印象を持たざるを得ない。
 エルンストブロッホが、他のマルクス主義哲学者(ほとんどが故)と、一線を画しているのは、ソウ゛ィエトがまだ、大きな権力を持っていた時期に、独り、悠然として、「本当の社会主義は、未だ存在していない。“Noch Nicht SEIN"」と堂々と論陣を張った事であり、それは、事件でさえあった。
 社会科学のセオリーでは、社会主義とは、爛熟した資本主義の後に、形成されるものであり、その意味では、旧ソ連も、旧東欧社会主義国も、北朝鮮も、中国も中南米の社会主義政権も、正しい意味では、本当の社会主義ではない。むしろ、社会科学のセオリー通りに、模範的な社会主義に近づいているのは、現在のヨーロッパであり、イギリスであり、そして、この日本とて、例外ではない。爛熟した資本主義国家は、一歩一歩、理想的な社会主義へと、近づいていってるのだ。
 その意味で、エルンストブロッホは、セオリー通りに、何度も亡命を繰り返し、身の危険を晒してまでも、社会科学思想を遵守し続けた、本当の意味での哲学者なのである。その彼を、アメリカが普通に論じているのである。このアメリカ世論の変貌をどう捉えるかは、各自の自由だが、スタイリッシュな感覚で貫かれた、アメリカメディアが論ずるエルンストブロッホの、「未だないユートピア」について、アメリカの一般家庭が、話題にしているのが、目に見えるようだ。
 私事で恐縮だが、'87年に、立命館大学の夜間部生だった私が、春休みに、エルンストブロッホの「希望の原理」全三巻を借りた時、司書さんの険悪な目つきが、未だにこびり付いている。「こいつトロか?」という、鋭い糾弾するような目つきだった。当時から、私は、「学問にセクトなんかないっ!」と、狭逸な価値観で、新刊書を読む私を咎める、先輩に怒鳴っていたものだった。そういう真面目な学生を、夜間金属バットを振り回し、
自主退学に追い込む、立命館大学、民青、日本共産党の在り方は、改めてもらいたいと思う。
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アニメソングスの惨状       JOHN MATTHEW

アニメソングスの惨状
           JOHN MATTHEW

 職場で、ユーザーがかけているアニメソングスが酷過ぎる。MY LITTLE LOVER や EVERY LITTLE THING 、倉木麻衣や、矢井田瞳など、ちょっと前に流行ったアーティストの曲を、繋ぎ合わせ、声優に歌わせる、パクリの嵐、細野晴臣もろパクリで、おまけにスネークマンショーまでパクリまくる始末。ええ加減にせーよー。声優に歌わせてたら、なんぼパクリまくってもエエとでも思っとんのか???B'zはJIMMY PAGEに本当に、1億円払ったんだぜ!
 こういう商売は、アーティストの著作権を踏みにじった上で成り立ってる商売である。即刻、パクったアーティストに著作権料払え!そうでなかったら、アニメソングスとやらは、泥棒音楽で、アニメ業界は、窃盗業界である。
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北朝鮮との戦争を本気で危惧する阿呆民青             弓武声慧

高い偏差値取ってる学生ってこの程度かよ。阿呆ちゃうか???
なんで、物事の裏側を観ない?観ようとしない???
阿呆やお前等。どんなに良い成績取ってても阿呆やお前等。
北朝鮮が欲しいのは、金や!銭や銭。
日本政府が裏で、大金渡してるんだよ。
政治家がやってるのは、みんなお芝居。吉本新喜劇と国会中継は何ら変わりません。
シナリオ通りに演劇やってるだけ。
裏を読め!!お前等頭はええんやから。。
阿呆な先生らに騙されてはいけない。
お前等、民青の情報は、すべて警察に流されている。
それを過激派から保護されてると思ってる輩は、もうどうしようもない大馬鹿だよっ!!
一生日本共産党の奴隷として、死んで行きな!!
ば~か!!
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続ブラントゥーシュ教諭       弓武声慧

続ブラントゥーシュ教諭
           Johann Sebastiam Matthew Zdbac Ubel
弓武声慧


 「お前みたいなチンピラ誰が。。。」
 「騙したな、お前、俺がチンピラやったら、お前はヤクザの親分か?ヤクザの大親分言うたら、俺の親父じゃ。お前、他人の組の息子、チンピラにして、ただで済む思てんのか?お前、すぐ処分されるからな。俺がいちいち命令せんでも、勝手に誰かが、片付けるからな。覚悟しとけよ。だいいち、お前の弟子や言う事で、どんだけ俺が恥かいたて思てんねん。まともな論文一つ残さんと。俺なんか二回生論文でちゃんとしたもん書いたやんけ。いつまでも、「空想から科学へ」みたいな小学生のパンフレットみたいなもんばっかりやってて、お前、創価学会やのに、共産党やってんねんやろっ!全部俺等の情報流しといて、ようやるわ。お前なんかとは、こっちから縁切りじゃ。死んでまえ詐欺師!。」
 「ガチャっ」

 ブラントゥーシュは、ショックで倒れ、その後入院した。
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JOHNUBEL plays PIANO phot by SACHIO HATA

JOHNUBEL phot by SACHIO HATA

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ブラントゥーシュ教諭          弓武声慧

ブラントゥーシュ教諭

             Johann Sebastian Matthew Zdbac Ubel 弓武声慧

第1章 ブラントゥーシュ

 ブラントゥーシュ教諭は、大企業の会長の兄を持ち、そのコンプレックスから、共産党活動に勤しむ、私学男子校の社会科教諭だった。ブラントゥーシュが担任するクラスは、とにかくアクの強い少年ばかり集められた。
 ブラントゥーシュが、神戸大学生時代、経済学部に始め在籍していたが、就職の話ばかりする学生に嫌気がさし、とうとう大学を辞めようとしていた時、哲学科の教授、武市健人教授から、哲学科に来い、と誘われて、文学部哲学科に転籍した。
 共産党員だらけの、当時の神戸大学文学部哲学科の学生達は、エンゲルスに被れていた。そんな、哲学科の共産党員達を、馬鹿にする、流行のサルトルを読む、ブラントゥーシュは、他の哲学科の学生から、
 「革命が起こったら、真っ先にお前をギロチンに送ったる。」
と脅迫されていたが、ブラントゥーシュは、
 「ばーか。」
と、相手にしなかった。
 ブラントゥーシュは、芸術家の女学生と学生結婚していた。生活を支えるため、アルバイトに精を出した。吉野まで、中古ミシンを運び、売り歩いた日は、必ず、帰りに、高取城に寄って、「荒城の月」を歌った。神戸の喫茶店では、ダミアの「暗い日曜日」がかかる。ブラントゥーシュは、よくそのシャンソンを口ずさんだ。
 ヘーゲル哲学者、武市健人のゼミで、異才を放った、ブラントゥーシュは、論文を書くため、一年留年した。提出した哲学論文は、主に、ドフトエフスキーを扱い、「神は存在するか?」で始まる、数十個の問い、で構成されていた。武市健人教授は、ブラントゥーシュに、
 「ブラントゥーシュ君、これが全部解けたら、ノーベル賞ものだよ。」
と、ブラントゥーシュを大学院に誘った。しかし、既に、生活があるブラントゥーシュは、全音に就職し、大学院には進まなかった。
 ブラントゥーシュは子供を作るつもりはなかった。しかし、3人の子供を、芸術家の妻との間に、もうけた。会社から帰ってくると、妻がピアノを弾きまくり、ロープで縛った、赤ん坊が、玄関の段差に浮いている有様だった。ブラントゥーシュは全音で、レコードのライナーノーツを書く仕事などをしていたが、教職免許を持っていた彼は、私学の男子校の教諭として、転職した。
 今では、由緒ある、ミッション系私立高校になっている、その高校は、戦後当時、荒れていた。出来の悪いお坊ちゃまが、好き勝手な事をしでかす、蛮カラな高校だった。ブラントゥーシュは、退職教官ばかりが集う、社会科職員室で、火鉢にあたる、老教諭に囲まれて、人生に絶望した。長野に自殺するつもりで訪れた旅館で、ちょうど、神戸大学で一緒だった、会社員のグループに会い、自殺をとどまった。

第2章 ブラントゥーシュ サークル

 やがて、有名進学校に変貌した、そのミッション系私立男子校で、一際異才を放つ少年たちが、ブラントゥーシュの下に集まり、いつしか、ブラントゥーシュ サークルが出来た。エンゲルスの「空想から科学へ」をみんなで読み、ブラントゥーシュは、言葉の使い方の一つ一つを注意していった。優秀な研究者や教師を輩出した、ブラントゥーシュ サークルに、’80年代、出来が悪いが、異才の放つ少年を、ブラントゥーシュは招待した。もはや、良い成績を取る学生に、ブラントゥーシュの講義したい、内容を理解できる
子供はいなかった。堂々と遅刻し、ブラントゥーシュの講義に、ただ一人、反応し、笑ったり、受けたりする、ヨハンを、ブラントゥーシュは引き抜いた。「怒りの葡萄」の映画をサークル員で観た日、ヨハンは、ブラントゥーシュの家に呼ばれた。ブラントゥーシュが、ヨハンに見せた画集の絵は、ゴヤの「子を喰うサトゥルヌス」だった。サークルに集うお兄さん達の、高校時代の写真を見せてもらった。みんな元美少年ばかりだった。
 「芸術家は客観性をもたなきゃならない。それでなかったら、単なる、マスターベーションや。」
そういう、ブラントゥーシュに、先輩達は、相づちを打って笑った。ヨハンは反駁した。
 「今、先生が言ってる事は、甲子園で高校球児が必死に戦ってるのに、外野席で、かき氷食いながら、『この暑いのにようやってるわ』って笑ってるようなもんや。ヴァイオリン必死に練習してる女の子は美しい。端で、観て、『おんなじ曲ばっかり、よぉーやってるわ。』って笑っているおっさんは醜い。先生等は、みんなで醜なりましょうって言ってるの?」
 ブラントゥーシュの手にかかると、元美少年も、変な大人になる。道化に徹する人までもいる。「子を喰うサトゥルヌス」、ブラントゥーシュは、美少年を食い続け、死んで行った。
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怨霊の嫁入り              弓武声慧

怨霊の嫁入り
       Johann Sebastian Matthew Zdbac Ubel 弓武声慧

 2009年8月3日付け、オリコンスタイルプロフチャートにMoon Templeが、24位でチャートインした、夜、Moon Templeのリーダー、Johann Zdbacのユバル家に、異変が起きた。「ぼっぼっぼっぼっ」という、女の霊の声が聴こえる。明らかに幻聴ではなかった。
 ヨハンは、その霊の事を知っていた。吉野郡川上村で、若い男を襲う霊として、恐れられていた、怨霊だった。その怨霊が最期に、村に帰省した若者を襲おうとして、霊媒師により、振り払われた後、その怨霊を封じ込めていた、結界の石が壊され、怨霊女霊は、奈良県の何処にでも行けるようになっていた。
 ヨハンは、般若心経を大声で唱え、怨霊は、
 「坊さん怖いぃ~。」
と、退散した。その日はそれで終わった。しかし、怨霊は、坊さんでもあるヨハンに惚れてしまった。川上村に帰り、ヨハンの宗教団体から、嫁入り道具一式を貰い、次の日、
ユバル家にその怨霊は嫁入りした。
 その怨霊の女霊は、戦前、華族廃止令のために、農家に嫁いだ貴族の、娘だった。農家を嫌い、農民を馬鹿にし、借金まで勝手に作って、ドレスやワンピースを買う日々の末、
農家の縁談を次々と断った、その娘は、とうとう、農家の父親に殺されてしまった。殺された、その娘は、怨霊となり、村に訪れる青年を次々と、襲い、取り殺した。村の人々は、せめて、村の外には出さないように、と、結界をつくり、封じ込めた。それでも、村に来る青年を襲うのを、怨霊となった女霊は辞めなかった。
 ヨハンの、向いの家から、女霊は、
 「一緒におはじきしましょう。」
とか、
 「あやとりしましょう。」
とか、とにかく仕草が可愛く、そして、着ている衣装は、白無垢の花嫁衣装だった。ヨハンは、自分に好意を持っている女には優しい。その女霊が恐ろしい悪霊なのは、知っていたが、愛を持って接すれば、なんとかなる、と思った。
 夜になると、女霊は、
 「ぼっぼっしよう」
 「ぼっぼっしよう」
と、ヨハンにSEXをせがんだ。もしかしたら、これで、取り殺されるかもしれない。でもそれは、ヨハンの坊主として、牧師として、霊媒師としての腕の見せ所だ。これに失敗したら、所詮、自分の能力なんて、そんなものだ、とヨハンは、思った。賭けてみよう、と決心して、ヨハンは、ADVDを、プレーヤーに載せ、大型スクリーンのTVのスウィッチを付けた。ADVDをかけながら、ヨハンと女霊は交わった。女官姿の白無垢を振り見出し、女霊は、淫乱に、ヨハンの男根を求め、半狂乱で、ヨハンに抱きつく、それは、怨霊の女霊にしか出せない、極限のエロティックな喘ぎ方だった。白無垢の袖は、振り乱され、女霊は、ヨハンの男根を、貪るように、身体事、グラインドさせる。それは、永い間満たされなかった、怨霊女霊にしかだせない、エロスだった。女霊は狂ったように、喜悦の表情を浮かべ、ヨハンの男根を貪り、白無垢を振り乱す。そして、それは、全ての、現実の境界線を超えてしまうかのような、涅槃的なまでの、エロスに変わって行った。ヨハンの射精に満足した、女霊は、また川上村に帰って行った。その夜、女霊はヨハンの子を妊娠した。
 次の日、女霊は、
 「今日は駄目なの。お腹の調子が悪いの。」
と、ヨハンの前に現れ、女霊の乳房だけを観せて、ヨハンは、乳房を揉みしだき、女霊の乳頭を吸い、ヨハンは、自分で事を済ませた。
 ヨハンの事を甘く観ていた、チンピラの男4人が、ヨハンの真似をして、その女霊に近づいた。女霊の乳房に手をかけようとした、その人間の男4人は、たちまち、
 「バリバリバリバリ。」
と、女霊に喰い殺された。

 その夜、女霊は、川上村で、ヨハンの子供を出産した。子供は無面目で、すぐ、高野山
に預けられた。無面目を産んだ女霊は、その夜、昇天し、天国に召された。

 次の朝、川上村では、四人の変死体が発見された。服がびりびりに破けて、骨がばらばらになった、変死体四つだった。 
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希望のシューシュポス             弓武声慧

希望のシューシュポス
           Johann Sebastian Matthew Zdbac Ubel
弓武声慧

 第1章 マルクス商品論における物神論

 カールマルクス「資本論」第1巻において、商品論が展開される。1エレのリンネルが、様々な商品と等価形態を取り、最終的に金がその等価形態から排除され、貨幣が起こるプロセスが、述べられてある。そして、その過程において、金が物神として、神の代わりに象徴として、形成される物神論が展開される。

 第2章 ドフトエフスキー「大審問官」

 ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にて、「大審問官」の章は、多くの、ドフトエフスキー研究家にとって、重要な哲学的課題を孕んだ章として、有名である。或る、
大司教の前に、イエスキリストが、本当に顕われる。そして、異端審問官である、大司教が、イエスキリストに「今さら、お前が現れて、何になる。」と、イエスキリストを弾劾する。

 第3章 アルベール カミュ の「シューシュポスの神話」

 カミュの「シューシュポスの神話」は、冥界から地上に一時戻りたいと、シューシュポスが神にお願いし、すぐに地上から冥界に還ってくる事を条件に、冥界から地上に降りたが、
約束の時間を過ぎても、シューシュポスは地上から冥界に還らなかった。その罰として、シューシュポスは、山上に大きな石を運び、そして、山上に達しては、またその大きな石は、麓まで転がり落ち、そして、またシューシュポスは、大きな石を山上に上げなければならない、永遠運動を、課せられた。カミュはその、シューシュポス像に神を否定する喜び
と希望を謳う。

 第4章 物神性としての貨幣としての神

 さて、この3つのお話を並べて、この3つのお話が相関関係を持ってる事にお気付きだろう。イエスキリストが今さら現れても、もはや、神は貨幣なのである。だから、異端審問にかけられるしかないのである。そして、シューシュポスが否定する神は、貨幣として、転倒した神であり、アルベールカミュは貨幣として転倒した、神を否定する喜びから、本来の神へと至ろうとする。マルクスもドフトエフスキーもカミュも、模索し、探し、求めているのは、本当の、転倒していない神なのである。その、本当の神を探すためにこそ、シューシュポスの希望があるのだ。
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