Aska Temple

All about John Ubel and Aska Temple

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Over The Equinox

NEU NICHTS 024
Over The Equinox / Aska Temple
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1. Over the equinox
2. Live Justine at Housei Univ.

 いつだって浮世離れ度No.1バンド=Aska Templeの泰然自若&超然とした作風と正反対のことをいきなり書いてしまって誠に恐縮だが、実際のところ、JOHN UBELこと弓場宗治はもうすぐ40才だ。『Over the equinox』。「昼夜平分時を超えて」というタイトルから「これは平均寿命79才の日本男子としての弓場の『人生折り返し地点宣言』なのではないか」という平凡な連想をしてしまった。

 その表題曲は荘厳なパイプオルガンの長音を左トラックに、右には比較的短いパッセージで音色が変貌するシンセサイザー演奏を、完全に左/右分断した形で配した23分以上にわたる長編である。再び安易な連想をするならば、左チャンネルは彼の追憶。つまり、重篤な疎外と逸脱を重ねた UBELの神経を蝕んだ過去の無明の闇の音。被害関係妄想を誘発し続けた孤独。漆黒の牢獄の世界。彼を襲うネガティブな仮想敵との長い長い闘争の背景にずっと鳴っていた音なのではないか。一方、右は未来のUBEL。めまぐるしく高揚と下降を繰り返す。眩暈のように悪夢のようにジェットコースターのように DNA状に絡みつく音像。しかし、それは開放的で、柔和で、生来の弓場という優しい男の奏でる音だ。煌き、瞬き、美しく輝く未来のメロディの群れ。

 願わくば、まず左トラックだけを、続いて右トラックを、そして最後にヘッドホンで左右のトラックを同時に聴いてほしい。過去と未来の音を同時に鳴らすことによって照射される現在。時間軸の切っ先が聴く者の脳に突き付けられる。それは今、生きているということの意味を問うJOHN UBELという天使の一撃である。

 若者たちよ。例えばフィッシュマンズなんていう糞バンドの商業サイケデリアとかダウンロードした無料ソフトで簡単に作れちゃうダブとかエレクトロニカなどと呼ばれる簡素なデスクトップ音楽に「宇宙」を見る暇があるなら、この曲「Over the equinox」の美しい孤独に映る、己を見よ。この左右のチャンネルの間に屹立する、現在を見よ。

 表題曲で過去に蹴りを付けたかのように思えるJOHN UBELの音楽的アウフヘーベンの継続はバンド編成でのASKA TEMPLEでも顕著だ。彼らのライブは常に過去を古くし、未来を光り輝かせる。2曲目「Live Justine」は2004年3月、法政大学学生会館大ホールにおけるライブ・テイクで、この後、2年近くライブ活動を休止することになった渾身のステージだ。UBELのギターシンセの高揚感を増長するかのようにスペーシーなシンセを轟かせるのは怒涛のプログレ弾き語りユニット=海賊放送91.5で知られる壮絶テクのベテラン・キーボーディスト=nicolai maruhama blondskayaこと丸濱勉。猛烈な勢いと熱量で夜空に放射される二人のエネルギーを力業で地表に繋ぎとめるのは全世界最注目の叙情派ジャズ・パンク=オシリペンペンズのドラマーとして知られる迎祐輔、オーラミンなどで活躍する名古屋在住の盟友=東内原章人のベース。この最強クァルテットで、断続的ながら現在もAska Templeはライブを行っており、その存在感は文字通り圧倒的だ。

 UBELは「おれは生きてる限り認めてもらえないんや」と売れない純文学作家みたいな弱音を吐くことがある。ちょっと待てUBEL。 Aska Templeは「equinox」を超えて夏至に向かう。このアルバムはそれを確信させる決定盤だ。彼らの灼熱の季節はまだまだこれからなのだ。 【松本亀吉】
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A NIGHT BY THE PAVANE

NEU NICHTS 023
A NIGHT BY THE PAVANE / Aska Temple
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1. A NIGHT BY THE PAVANE
Live at shinsekai BRIDGE 2003.9.13
a)PAVANE POUR UNE INFANTE DEFUNTE/RAVEL
b)CONCERTINO FOR PIANO AND ORCHESTRA
2nd. Mov./RAVEL

2. Psyber Live
Live at okayama PEPPERLAND 2003.3.8
Blue Flower(from BRUCKNER symphony no.5 2nd.Mov)

About A NIGHT BY THE PAVANE
The reason that I returned to the classic,was the disappointment to the NEW AGE.

I read BIBLE in the isolated room of mental hospital.After I went out hospital,I covered
VIVALDI,RAVEL,BARBER,CHOPIN,BALTOK,by electric guitar.and I read all through
CRITIQUE OF PURE REASON of KANT in English,Les miserables2,HUGO,SADE,
BAUDLAIRE,MALLARME,ARTHURE RIMBAUD in French,HEESE in Deutsch.I am
reading HEGEL,HEIDEGGER,NOVALIS in Deutsch

These 3 years,I had been re-studying classic guitar.I was taught the classical method
by classic guitar from proffesor.I played in guitar orchestra,two christmas songs,as one
of them.I became to be able to read score,and I play BACH now.

A NIGHT BY THE PAVANE,this disc is involving two 2003 Live plays,Osaka,and Okayama.
That was the time when the band went through the right direction.

I hope you enjoy this music.

sincerely
JOHN UBEL

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One More Red Nightmare

NEU NICHTS 022
One More Red Nightmare / Aska Temple with William Blake
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1. Blue Flower
2. One More Red Nightmare
3. Moon Voyage
4. Hosanna
5. Purple Rose

About One more red nightmare

After recording ST.MARIA,she extends her hands,with YUUSUKE MUKAE,
I thought we should play with grund piano and drumms.
I played piano in jazz bar YAMA ,and we got into practice in YAMA,
by grund big piano of KAWAI,made in JAPAN,and drumms.
Master of YAMA ,bought good drumms set for us.
and ST.MARIA engineer,KYOUICHI TOKUYAMA
(who was the guitarist of Punk rock band AUSCHWITZ,which were
famous in Japan in middle '80's.of which band were 2men dead now)
he joined to MUKAE and me.

I thought we should play jazz.because drumm style of MUKAE,was really
jazz drumming,I was fascinated with his drumm style.
I played piano by solo ago,and with his drums,
Perhaps we will play like jazz.it was succcessfull for us.
We ,three,got into practice at YAMA.soon or later,
KOBE jazz LIVEHOUSE"BIG APPLE",asked us
to play with our club,and we got the stand at KOBE jazz LIVE HOUSE.
April21,this year.

KOBE is a beautifull port city of jAPAN.
There are many architecture of EUROPEAN.

That night ,in that KOBE jazz LIVE HOUSE.
The mother of divorced girl friend came to see us.
Before "HOSANNA"there is one woman cried,
that is her.

We,three,are rock musician.
but we could play jazz by our own way,I think.

we will practice again from this autumn.

sinverely
JOHN UBEL

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St.Maria, she extends her hands

NEU NICHTS 021
St.Maria, she extends her hands / Aska Temple
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1. Beyond the blue sky
2. Pray
3. St.maria, she extends her hands

■ASKA TEMPLEの新作はJohn UBELこと弓場宗治の多重録音による『Beyond the Blue Sky』、さらにエレメンタルなピアノ独奏『Pray』、そしてライブ・ステージに近いバンド・スタイルの表題曲という3篇。
■1曲目の美しさにまず落涙必至。2曲目の精緻かつ豪胆な指運びに驚嘆。しかし、今回最も特徴的なのは3曲目だ。大阪ベアーズで今どき珍しく禍々しいほど鋭利なステージで物議を醸しているバンド・オシリペンペンズの迎祐輔をドラムスに、関西パンクの重鎮でアウシュヴィッツのギタリスト=徳山喬一をエンジニアに起用するというクロスオーバーな配置は弓場にしか実現しえない布陣と言える。
■さて、弓場もおれも36才になり立派な中年である。かつて繊細な痩躯の美少年として関西のライブハウスでキャーキャー持て囃されたおれたちも、弓場の弾く鍵盤のように容赦なく寄る年波に抗する術なく、弓場の腹は膨らみ、おれの椎間板はヘルニアで、二人ともモタモタヨタヨタと大阪の町を歩いている。音楽には常に人柄が反映され、だいいち、こういうライナーノーツ類も作品に投影されたアーティストの素顔が垣間見えたほうが良いのだろ。
■彼の演奏が年月を経て、なお、その純真さを失わず、むしろ無垢な輝きを増しているのは山村に家族と同居する優しい青年としてのジェントルネスが最も大きな要因であり、それは今回の表題曲のメンバー編成が象徴する。 John UBELが世代を超えて共感されるのは、彼の音楽家としての技量のみならず、率直でキュートな弓場宗治の素顔の魅力が大きいとおれは思う。おれも大好きだよ、弓場。 【松本亀吉】


シュビッタースのように。
能勢伊勢雄(岡山ペパーランド主宰)

現代美術作家のクルト・シュビッタースや大竹伸朗、写真家の森山大道という膨大な作品量を残す(あるいは残した)作家達がいる。彼等と同様の作家として弓場宗治氏のことをここでは書いてみたい。シュビッタースは生涯を日常生活の内で出逢ったガラクタを拾い集めて絵画作品を創り続けた画家である。その作品点数は膨大な数にのぼり、未だ彼の全作品が公開展覧されたことは無い。このような行為を生涯続け、最後には彼自身の家屋までガラクタで完成したのである。この全体性を指して彼は「メルツバウ」と呼び、我国のノイジアン・秋田昌美が自身のバンド名に取り入れことは有名な話である。大竹伸朗は彼の4年間に渡る日常の断片を貼り付けたドローイング集『DREAMS』を発表し、最近では彼の記憶の中に留まったドローイングを編纂した『部分』を発表している。これらは共に日々描き継がれた膨大なドローイングから産み落とされている。また、写真家の森山大道も同様に膨大な写真撮影行為を通じて作品を創り続けている作家だ。ファッション・ブランドのHysteric Grammarが彼に依頼した写真集の承諾条件は400頁の紙幅だったらしい。また彼の新作『新宿』は600頁を費やしている。これらは共に普通の写真集の紙幅を遥に超えたものだ。当然、写真集に掲載された数倍、数十倍の撮影行為があったことは容易に想像できる。なぜ、弓場氏を語るに際して一見関係なさそうな画家や写真家のことを引きあいにしたかというと、弓場氏もこのような作家の流れにあると考えているからである。彼等のように、弓場氏は2年間余りで 20枚を超えるCD作品を創り続けている。この作品数は尋常ではない。音楽のジャンルが違えどもフランク・ザッパやマジカルパワー・マコのように次から次に作品を産み続けることのできる作家であるということだ。そこに彼の特長が在る。
弓場氏を含めこれらの作家に共通して言えるのは、日常の中で積み重ねられるイメージのフラグメント(断片)が集積し、一つの姿を我々の前に見せる時、そこには艶めかしい全体性が断片を凌駕して姿を表しているということである。このことに気付かなければならない。それが弓場宗治の真実の姿である。リリース番号21枚目を数えるこの作品Aska Temple『ST.MARIA,she extends her hands』の出来栄えを語る以上の事件がこの全体性の内に起きていることに、注目していただきたい。おそらくこのCD一枚の完成度を語る人は多くいると思われるが、そのこと以上に注意を払われるべきは膨大な量の作品を彼が創り続けていることである。
では、彼の一連の作品を通じて一体何が起きているのだろうか? それは〈全体性〉の回復である。しかもこの全体性は彼の今生での音楽人生として読み取られるような代物では決してない。彼が音楽創作を通じてアウトプットしているのは彼の〈生前の記憶〉にまで遡るような行為である。膨大な量を“繰返し創作し続けること”自体、彼の胎児期の記憶に潜む感受性の「型」に直接関わってくる事柄なのだ。これは厳密には胎生期に形作られる感受性の「型」と呼べるようなモノだ。胎生期には宇宙(霊界)からの力が最も大きく作用し、胎児の無意識世界に与えられる宇宙的力を通じて霊界の記憶を宿すのである。このことに気付いたのがヨハネス・ミューラーやエルンスト・ヘッケルであり、「個体発生は系統発生の短縮された、かつ急速な反覆である」とする有名な反復的胎生学を生んだ。これらの事柄を弓場氏の“繰返し創作し続けること”と突き合わせると〈生前の記憶〉と関わってくる問題であることが理解されよう。このように考えると、弓場氏は彼の〈生前の記憶〉を全仕事の内に降ろしているのである。膨大な作品創作量が物語っているのはこのことだ。毎日“繰返し”続けることが可能な意識は反復的胎生学の音楽的実践であり、そのままカルマの自覚につながっていく。ここに膨大な量を創り続ける作家の最大の秘密が在る。シュビッタースをはじめとして、弓場氏しかり、大竹しかり、森山しかりである。今日まで“繰返す”ことが出来たことは明日も“繰返す”ことが可能であり、そのような繰返しがカルマの本質でありカルマ的認識そのものである。反復する行為によってこの認識は深まっていき、その全体像がやがて弓場氏に働きかける時、弓場宗治という作家は今生の世界から離脱し、真に霊的存在へと化していくそのプロセスにたどり着いたように私には映るのだが…。
弓場君違いますか?
君とはよく深夜の電話で話をしますね。その会話の中で毎回、今、創っている新作の話が告げられます。新作の話をする弓場君の弾んだ声を聴きながら、何時も私はシュビッタースが彼自身の人生の内で出逢い捨ったガラクタのことを思い出しています。人生で巡り逢わせたガラクタ達を愛おしいと思い作品を創り続けたシュビッタース。弓場君も音を捨い続けているのですね。日々繰返されたその行為と残された膨大な量の作品は、彼自身がこの地上で出逢ったカルマを静かに物語っています。シュビッタースのように…。 【end】

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OMEGA POINT LIVE

NEU NICHTS 020
OMEGA POINT LIVE / Aska Temple
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Disk1. Omega Point Live part1
Disk2. Omega Point Live part2

『オメガ・ポイント・ライブ』に寄せて
長谷川光平

 弓場君から『オメガ・ポイント・ライブ』の構想を知らされたのは、今年(2002 年)の3月でした。私が彼にティヤール・ド・シャルダンの「愛について(みすず書房/絶版)」という本を紹介したのが2月でした。そのことを思うと、弓場君が大変急な速度でティヤール・ド・シャルダンの思想に傾倒し、その気持ちを何かに書き留めるかのように音楽化しようとしたことが、お分かりいただけるでしょう。彼は「愛について」の読了後、ティヤール・ド・シャルダンの他の翻訳本が入手出来ないため、英語訳(原文はフランス語)の洋書まで取り寄せて読んだそうです。
 しかし、ティヤール・ド・シャルダンの膨大な著作とその思想が約一ヵ月で分かるはずはありません。まずそのことを最初に申し上げておきたいと思います。そのことはどんな思想に対しても言えます。思想は、人生を貫く長い沈黙の中で、行動と反省に因って証しとなるものだからです。それ以外のものは、借り物や偽物や詭弁にすぎません。
 初めにこんなことを述べますと、何かこのアルバムの演奏にケチを付けているように思われるかも知れません。でも私は、弓場君がティヤール・ド・シャルダンをデッチアゲて、このアルバムを作ったとは思いません。
 結論を最初に言ってしまいますと、弓場君は“思想や哲学としてのオメガ・ポイント”を音楽で表現した訳ではないということです。ティヤール・ド・シャルダンが示す終点(オメガ・ポイント)は、宇宙進化全体を支配し、その目標であり、完成でもある一点、そして全てを超越した愛である、キリストだったのです。弓場君が非常に性急な方法で「オメガ・ポイント」と題するライブを行ったことは事実ですが、彼がそんなにも表現したかったものは、“キリストの愛”に他ならないと私は思います。それのみが、時間(歴史)や空間(国境)を越えて、光の速度より早く、逆に彼(または彼女、そして我々)の心を捉えることが出来るものと思うからです。
 終点が死を越えても未だ働き続けるものである、ということに気付かされた、弓場君の内面の驚きと喜びが、この『オメガ・ポイント・ライブ』の動機のように思えてなりません。ティヤール・ド・シャルダンはこう言っています。「したがってわれわれがどんな程度であっても、人間化と人格化のより高い極点を前方に望むとき、われわれの眼は実際にキリストに向けられているのである。」
 信仰が思想や哲学の放棄ではなく、超越と完成を促すものであることに、弓場君は気付きはじめているのかも知れません。
 そうしたことから、この2枚組の『オメガ・ポイント・ライブ』は、今までの彼の作品群とは趣の違う、彼の音楽活動の「分岐点」となるかも知れません。3月29日の演奏と4月27日の演奏を比べてみても、そこには確かに“反省を伴う深まり”があることに驚かされます。いずれにせよ、これほど真摯に、ある意味で古風とも言える正攻法で音楽表現の在り方を探究する彼の存在は、そうしたことを無視しているかのように見える怠惰な破壊的風潮の中では、大変貴重なものと思います。
 『人間化と人格化のより高い極点を前方に望む』ということは、音楽に於いても常に与えられている、大きなテーマです。前方にこそ「終点」があるのです。その一点を見つめた、このアスカ・テンプルの音楽に、どうぞ静かに向き合って下さい。

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